茶道との結びつき
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 17:29 UTC 版)
禅と茶道、そして墨跡と茶道の結びつきに大きな役割を果たしたのが一休宗純である。一休は大徳寺に住持し、能楽師の金春禅竹・金春禅鳳、茶人の村田珠光などの文化人と親交を結び、日本文化に禅思想の影響を与えた。 茶道は室町時代後期に、大徳寺の僧と堺の商人との交流の中に確立し、一休に参じた村田珠光がその先駆をなした。以来、茶道は禅に精神的な拠り所を求め、茶人にとって参禅は不可欠なものとなった。 墨跡と茶道の結びつきは、村田珠光が一休から与えられた圜悟克勤の墨跡『与虎丘紹隆印可状』(流れ圜悟)を床に掛けたことに起因すると伝えられている。しかし記録上確認できるのは北礀居簡の墨跡が最も早い。そして室町時代末期から茶掛けとして墨跡が尊ばれるという伝統が生まれたが、当初は中国の墨跡が主流であった。その中で最も茶会で使用された墨跡は虚堂智愚の『法語』(破れ虚堂)であった。その後、茶の湯の普及にともなって日本の墨跡、特に宗峰妙超や一休をはじめとする大徳寺の僧のものが珍重され、以後、大徳寺と茶道の関係は続いた。やがて茶室の装飾品としての墨跡や古筆を豊臣秀吉が好んだことから民間にも広まり、その後、茶道の発達にともないその表装も贅をつくすようになり、永く国民に珍重された。
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