英語教師として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 03:25 UTC 版)
「ラナルド・マクドナルド」の記事における「英語教師として」の解説
やがてマクドナルドが日本文化に関心を持ち、聞き覚えた日本語を使うなど多少学問もあることを知った長崎奉行は、オランダ語通詞14名を彼につけて英語を学ばせることにした。14名の通詞たちは、森山栄之助、西与一郎、植村作七郎、西慶太郎(のちに出島の医官ポンペの通訳をつとめる)、小川慶次郎、塩谷種三郎、中山兵馬、猪俣伝之助、志筑辰一郎、岩瀬弥四郎、堀寿次郎、茂鷹之助、名村常之助、本木昌左衛門である。それまでは(オランダ語などを経由せず)直接的に英語を教える教師はいなかったので、彼が最初の英語母語話者による英語教師だったことになる。教えた期間はわずかではあったが、生徒のなかでもひときわ熱心であったのは、英語がもともと話せ、通訳も務めていた森山多吉郎(森山栄之助)であり、覚えがはやく、おどろくほどの習得能力を示した。 日本の英語教育は幕府が長崎通詞6名に命じた1809年より始まっていたが、その知識はオランダ経由のものであったことから多分にオランダ訛りが強いものであった(「name」を「ナーメ」、「learn」を「レルン」と、綴りをそのまま発音していたなど)。マクドナルドの指導法は最初に自身が単語を読み上げた後に生徒達に発音させ、それが正しい発音であるかどうかを伝え、修正させる、というシンプルなものだった。彼もまた覚えた500の日本語の単語をメモして残しており、周囲の日本人の殆どが長崎出身ということもあって、それらの単語の綴りは長崎弁が基本となっている。また、マクドナルドは日本人生徒がLとRの発音の区別に苦労していることにも言及している。また、子音の後にiかoの音をつけて発音すると書いている。母音は問題ないとしている。
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