若冲との出会い
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卒業直前、父が本社ビルの建設を計画したため、建築家にフランク・ロイド・ライトを紹介し、プライス・タワー(Price Tower )の建築が計画された。卒業後、プライスは会社とライトの仲介役を務めることとなった。当時ライトはニューヨークグッゲンハイム美術館の設計のため同市プラザホテルに滞在しており、そのためプライスはニューヨークを頻繁に訪れた。 1953年、ライトを美術館からホテルに送り迎える途中、ライトに連れられマディソン街65丁目の東洋古美術商ジョセフ・瀬尾を訪れた。ライトは大正時代に帝国ホテルを設計するなど日本と縁があり、浮世絵の蒐集家でもあった。プライスはそこで伊藤若冲による掛軸『葡萄図』に心を惹かれる。卒業祝いとしてメルセデス・ベンツ・300SLの購入資金を所持していた彼は、ホテルに行った後、店に戻り、作品の背景も知らないまま購入した。掛軸が絵画であるという認識すらなかったという。1950年代までに同店で狩野元信『老松小禽図・蝦蟇鉄拐図屏風』、鈴木其一『群舞図』、通女『見返り美人図』などを購入したが、作者や由来については全く関心がなかったという。 1960年代にはコレクションは30点程になった。カンザス大学の中国美術研究家清水義明がプライスの蒐集を聞きつけて訪問し、蒐集品が日本の江戸時代のものに偏っていることを告げられ、初めて作品の由来を意識するようになった。ゴフを尋ねると、大正時代の目録『御物若冲動植綵絵精影』を見せられた。若冲に興味を持ったプライスは、瀬尾商店で若冲の名を出すと、最初に購入した『葡萄図』が若冲の作品であることを知らされた。 1956年、自宅にの設計により、心遠館 (The House of the Far Away Heart) と称する自宅兼スタジオを構えた。若冲の堂号心遠堂より採ったもので、奇抜なデザインで話題になった。設計はライトの弟子ブルース・ガフで、プライスとは大学の同窓で、在籍時に学生部長を務めていた。
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