若冲との出会いとは? わかりやすく解説

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若冲との出会い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 07:21 UTC 版)

ジョー・プライス」の記事における「若冲との出会い」の解説

卒業直前、父が本社ビル建設計画したため、建築家フランク・ロイド・ライト紹介し、プライス・タワー(Price Tower )の建築計画された。卒業後、プライス会社ライト仲介役を務めることとなった当時ライトはニューヨークグッゲンハイム美術館設計のため同市プラザホテル滞在しており、そのためプライスニューヨーク頻繁に訪れた1953年ライト美術館からホテル送り迎え途中ライトに連れられマディソン街65丁目の東洋古美術商ジョセフ瀬尾訪れたライト大正時代帝国ホテル設計するなど日本と縁があり、浮世絵蒐集家でもあった。プライスはそこで伊藤若冲による掛軸葡萄図』に心を惹かれる卒業祝いとしてメルセデス・ベンツ・300SL購入資金所持していた彼は、ホテル行った後、店に戻り作品の背景知らないまま購入した掛軸絵画であるという認識すらなかったという。1950年代までに同店で狩野元信老松小禽図・蝦蟇鉄拐屏風』、鈴木其一群舞図』、通女見返り美人図』などを購入したが、作者由来については全く関心がなかったという。 1960年代にはコレクション30程になった。カンザス大学中国美術研究家清水義明プライス蒐集聞きつけて訪問し蒐集品日本江戸時代のものに偏っていることを告げられ初め作品由来意識するようになったゴフ尋ねると、大正時代目録御物若冲動植綵絵精影』を見せられた。若冲興味持ったプライスは、瀬尾商店若冲の名を出すと、最初に購入した葡萄図』が若冲作品であることを知らされた。 1956年自宅にの設計により、心遠館 (The House of the Far Away Heart) と称する自宅スタジオ構えた若冲堂号心遠堂より採ったもので、奇抜なデザイン話題になった設計ライト弟子ブルース・ガフで、プライスとは大学同窓で、在籍時に学生部長を務めていた。

※この「若冲との出会い」の解説は、「ジョー・プライス」の解説の一部です。
「若冲との出会い」を含む「ジョー・プライス」の記事については、「ジョー・プライス」の概要を参照ください。

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