航空主兵への転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 18:50 UTC 版)
当時、航空機による戦艦など主力艦の撃沈は不可能であるという考えが主流であったが、真珠湾攻撃以前の段階で航空機の脅威は無視できないものになっていた。例えば1940年(昭和15年)11月のタラント空襲でイギリス軍空母イラストリアス搭載のソードフィッシュ雷撃機21機がイタリア軍戦艦1隻を撃沈、2隻を大破させる大戦果をあげ、1941年(昭和16年)5月にはドイツ戦艦「ビスマルク」がイギリス軍雷撃機により舵を破壊され、間接的に撃沈されている。 さらに真珠湾攻撃から2日後、12月10日のマレー沖海戦では、航行中のイギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」が、日本軍機による航空攻撃のみで撃沈された。これらの海戦結果により、それまで海戦において補助的な位置付けにあった航空機が主役として注目されると同時に、いかなる艦船でも航空機によって撃沈されうることが浮き彫りとなった。 こうして大艦巨砲主義時代は終焉(しゅうえん)を迎え、時代は航空主兵時代へと移るのである。それでも戦艦の建造は少数ながら続けられ、日本海軍が大和型戦艦3番艦を空母信濃に改造したのに対し、アメリカ海軍がアイオワ級戦艦のイリノイ、ケンタッキーの建造を中止したのは1945年8月と1950年1月、イギリス海軍は1946年8月に戦艦ヴァンガードを、フランス海軍は1949年にリシュリュー級戦艦のジャン・バールを完成させた。
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