自由党・民主党
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落選後、自民党を離党。2000年11月、自由党に入党する。2001年(平成13年)7月、第19回参議院議員通常選挙に自由党公認で埼玉県選挙区から立候補し落選。比例東北ブロック選出の衆議院議員石原健太郎の公設第一秘書を経て、2003年(平成15年)9月の民主党と自由党の合併に伴い、民主党埼玉県第7総支部総支部長に就任する。同年11月、第43回衆議院議員総選挙に民主党公認で埼玉7区から立候補し初当選。 2005年(平成17年)3月、日本大学大学院総合社会情報研究科国際情報専攻の修士課程を修了。修士(国際情報)を取得。同年9月11日、第44回衆議院議員総選挙に立候補し落選。比例北関東ブロックで復活当選した(2期目)。 2009年(平成21年)5月11日、小沢一郎が民主党代表辞任を表明。小沢の辞任に伴う代表選挙(5月16日投開票)では鳩山由紀夫の推薦人に名を連ねた。同年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に立候補し3期目の当選を果たす。 2010年(平成22年)9月、衆議院外務委員長だった鈴木宗男の失職に伴い、筆頭理事から委員長代行に就任。同年10月、衆議院議事進行係に就任。 2011年(平成23年)8月26日、菅直人首相が民主党代表辞任を正式に表明。菅の辞任に伴う代表選挙(8月29日投開票)では海江田万里の推薦人に名を連ねた。 2012年(平成24年)の消費増税をめぐる政局では、6月26日の衆議院本会議で行われた消費増税法案の採決で、党の賛成方針に反して反対票を投じた。7月2日には山岡賢次らを介して離党届が提出された。民主党は7月3日の常任幹事会で離党届を受理せず除籍処分とする方針を決定し、7月9日の常任幹事会で正式決定した。
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