自由党党首に就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:17 UTC 版)
「ウィリアム・グラッドストン」の記事における「自由党党首に就任」の解説
1867年12月に自由党党首ラッセル伯爵が76歳の高齢を理由に党首職を辞した。当時首相を務めないと党首を名乗れない慣習があったので、正式な就任ではないが、実質的にグラッドストンが党首となった。 この頃、アイルランド独立を目指す秘密結社フェニアンの暴動がイングランドで多発していた。アイルランド問題の解決が政治の緊急の課題となり、グラッドストンはアイルランド国教会の廃止、アイルランド教会の国教会からの分離を党の目玉公約とすることを決定した。 30年前の著書『教会との関係における国家』の中でアイルランド人がどう思おうが、国教会が唯一の真理なので押し付けるべきと主張していた彼が自由主義化の果てにとうとうこのような結論に達したのだった。 [先頭へ戻る]
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