自由党の尊王論とは? わかりやすく解説

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自由党の尊王論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 03:57 UTC 版)

自由民権運動」の記事における「自由党の尊王論」の解説

板垣退助は、明治15年(1882年)3月、『自由党の尊王論』を著し自由主義尊皇主義同一であることを力説し自由民権意義説いた世に尊王多しと雖(いえど)も吾(わが)自由党如き(尊王家は)あらざるべし。世に忠臣少からずと雖も、吾自由党如き(忠臣)はあらざるべし。(中略)吾党は我 皇帝陛下をして英帝の尊栄を保たしめんと欲する者也。(中略)吾党は深く皇帝陛下信じ奉る者也。又堅く我国の千歳垂るるを信ずる者也。吾党は最も我 皇帝陛下明治元年三月十四日御誓文(五箇条の御誓文)、同八年四月十四日立憲詔勅、及客年十月十二日の勅諭信じ奉る者也。既に我 皇帝陛下には「広く会議興し万機公論に決すべし」と宣(のたま)ひ、又「旧来の陋習破り天地公道に基くべし」と宣(のたま)ひたり。吾党、固(もと)より我 皇帝陛下の之(これ)を履行し、之(これ)を拡充し給ふ信ずる也。又、立憲政体立て衆庶と俱(とも)に其慶幸に頼(たよ)らんと欲す。(中略)既に立憲政体立てさせ給ひ、其慶幸に頼らんと宣ふ以上は、亦吾党に自由を与へ吾党をして自由の民たらしめんと欲する叡慮なることを信ずる也。(中略)況や客年十月聖諭如きあり。断然二十三年を以て代議士召し国会開設せんと叡断あるに於ておや。(中略)故に吾党が平生自由を唱え権利主張する者は悉く仁慈 皇帝陛下詔勅信じ奉り一点(の)私心を(も)其間に挟まざる者也。(中略)斯(かく)の如くにして吾党は 皇帝陛下信じ、我 皇帝陛下の意の在る所に随ふて、此立憲政体慶幸に頼らんと欲する者也。(中略)方今支那魯西亜(ロシア)、土耳古(トルコ)諸邦の形状察すれば、其帝王驕傲無礼にして人民軽侮土芥之を視、人民は其帝王畏懼し、或は怨望雷霆如く、讎敵の如くし、故に君民上下の間に於て曾(かつ)て其親睦愛情の行はるる事なし。(中略)今、吾党の我日本 皇帝陛下尊崇する所以(ゆえん)は、固(もと)より支那土耳古(トルコ)の如きを欲せざる也。又、大(おおい)に魯西亜(ロシア)の如き好まざる也。吾党は我人民をして自由の民たらしめ、我邦をして文明の国に位し、(皇帝陛下を)自由貴重の民上に君臨せしめ、無上光栄保ち無比尊崇を受けしめんと企図する者也。(中略)是吾党が平生堅く聖旨奉じ、自由の主義執り政党組織し国事奔走する所以(ゆえん)也。乃(すなわ)ち皇国千載に伝へ、皇統無窮に垂れんと欲する所以(ゆえん)なり。世の真理解せず、時情を悟らず、固陋自ら省みず、妄(みだ)りに尊王愛国唱へ、却(かえっ)て聖旨に違(たが)ひ、立憲政体準備計画防遏(ぼうあつ)し、皇家を率ゐて危難深淵に臨まんと欲する者と同一視べからざる也。是れ吾党が古今尊王多しと雖(いえど)も我自由党如くは無し古今忠臣義士尠(すくな)からずと雖も自由党諸氏忠愛真実なるに如(し)かずと為(な)す所以(ゆえん)なり。 — 『自由党の尊王論』板垣退助

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自由党の尊王論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 08:44 UTC 版)

尊王論」の記事における「自由党の尊王論」の解説

板垣退助は、明治15年(1882年)3月、『自由党の尊王論』を著し自由主義尊皇主義同一であることを力説し自由民権意義説いた世に尊王多しと雖(いえど)も吾(わが)自由党如き(尊王家は)あらざるべし。世に忠臣少からずと雖も、吾自由党如き(忠臣)はあらざるべし。(中略)吾党は我 皇帝陛下をして英帝の尊栄を保たしめんと欲する者也。(中略)吾党は深く皇帝陛下信じ奉る者也。又堅く我国の千歳垂るるを信ずる者也。吾党は最も我 皇帝陛下明治元年三月十四日御誓文(五箇条の御誓文)、同八年四月十四日立憲詔勅、及客年十月十二日の勅諭信じ奉る者也。既に我 皇帝陛下には「広く会議興し万機公論に決すべし」と宣(のたま)ひ、又「旧来の陋習破り天地公道に基くべし」と宣(のたま)ひたり。吾党、固(もと)より我 皇帝陛下の之(これ)を履行し、之(これ)を拡充し給ふ信ずる也。又、立憲政体立て衆庶と俱(とも)に其慶幸に頼(たよ)らんと欲す。(中略)既に立憲政体立てさせ給ひ、其慶幸に頼らんと宣ふ以上は、亦吾党に自由を与へ吾党をして自由の民たらしめんと欲する叡慮なることを信ずる也。(中略)況や客年十月聖諭如きあり。断然二十三年を以て代議士召し国会開設せんと叡断あるに於ておや。(中略)故に吾党が平生自由を唱え権利主張する者は悉く仁慈 皇帝陛下詔勅信じ奉り一点(の)私心を(も)其間に挟まざる者也。(中略)斯(かく)の如くにして吾党は 皇帝陛下信じ、我 皇帝陛下の意の在る所に随ふて、此立憲政体慶幸に頼らんと欲する者也。(中略)方今支那魯西亜(ロシア)、土耳古(トルコ)諸邦の形状察すれば、其帝王驕傲無礼にして人民軽侮土芥之を視、人民は其帝王畏懼し、或は怨望雷霆如く、讎敵の如くし、故に君民上下の間に於て曾(かつ)て其親睦愛情の行はるる事なし。(中略)今、吾党の我日本 皇帝陛下尊崇する所以(ゆえん)は、固(もと)より支那土耳古(トルコ)の如きを欲せざる也。又、大(おおい)に魯西亜(ロシア)の如き好まざる也。吾党は我人民をして自由の民たらしめ、我邦をして文明の国に位し、(皇帝陛下を)自由貴重の民上に君臨せしめ、無上光栄保ち無比尊崇を受けしめんと企図する者也。(中略)是吾党が平生堅く聖旨奉じ、自由の主義執り政党組織し国事奔走する所以(ゆえん)也。乃(すなわ)ち皇国千載に伝へ、皇統無窮に垂れんと欲する所以(ゆえん)なり。世の真理解せず、時情を悟らず、固陋自ら省みず、妄(みだ)りに尊王愛国唱へ、却(かえっ)て聖旨に違(たが)ひ、立憲政体準備計画防遏(ぼうあつ)し、皇家を率ゐて危難深淵に臨まんと欲する者と同一視べからざる也。是れ吾党が古今尊王多しと雖(いえど)も我自由党如くは無し古今忠臣義士尠(すくな)からずと雖も自由党諸氏忠愛真実なるに如(し)かずと為(な)す所以(ゆえん)なり。『自由党の尊王論』板垣退助

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自由党の尊王論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 22:43 UTC 版)

自由党 (日本 1881-1884)」の記事における「自由党の尊王論」の解説

板垣退助は、明治15年(1882年)3月、『自由党の尊王論』を著し自由主義尊皇主義同一であることを力説し自由民権意義説いた世に尊王多しと雖(いえど)も吾(わが)自由党如き(尊王家は)あらざるべし。世に忠臣少からずと雖も、吾自由党如き(忠臣)はあらざるべし。(中略)吾党は我 皇帝陛下をして英帝の尊栄を保たしめんと欲する者也。(中略)吾党は深く皇帝陛下信じ奉る者也。又堅く我国の千歳垂るるを信ずる者也。吾党は最も我 皇帝陛下明治元年三月十四日御誓文(五箇条の御誓文)、同八年四月十四日立憲詔勅、及客年十月十二日の勅諭信じ奉る者也。既に我 皇帝陛下には「広く会議興し万機公論に決すべし」と宣(のたま)ひ、又「旧来の陋習破り天地公道に基くべし」と宣(のたま)ひたり。吾党、固(もと)より我 皇帝陛下の之(これ)を履行し、之(これ)を拡充し給ふ信ずる也。又、立憲政体立て衆庶と俱(とも)に其慶幸に頼(たよ)らんと欲す。(中略)既に立憲政体立てさせ給ひ、其慶幸に頼らんと宣ふ以上は、亦吾党に自由を与へ吾党をして自由の民たらしめんと欲する叡慮なることを信ずる也。(中略)況や客年十月聖諭如きあり。断然二十三年を以て代議士召し国会開設せんと叡断あるに於ておや。(中略)故に吾党が平生自由を唱え権利主張する者は悉く仁慈 皇帝陛下詔勅信じ奉り一点(の)私心を(も)其間に挟まざる者也。(中略)斯(かく)の如くにして吾党は 皇帝陛下信じ、我 皇帝陛下の意の在る所に随ふて、此立憲政体慶幸に頼らんと欲する者也。(中略)方今支那魯西亜(ロシア)、土耳古(トルコ)諸邦の形状察すれば、其帝王驕傲無礼にして人民軽侮土芥之を視、人民は其帝王畏懼し、或は怨望雷霆如く、讎敵の如くし、故に君民上下の間に於て曾(かつ)て其親睦愛情の行はるる事なし。(中略)今、吾党の我日本 皇帝陛下尊崇する所以(ゆえん)は、固(もと)より支那土耳古(トルコ)の如きを欲せざる也。又、大(おおい)に魯西亜(ロシア)の如き好まざる也。吾党は我人民をして自由の民たらしめ、我邦をして文明の国に位し、(皇帝陛下を)自由貴重の民上に君臨せしめ、無上光栄保ち無比尊崇を受けしめんと企図する者也。(中略)是吾党が平生堅く聖旨奉じ、自由の主義執り政党組織し国事奔走する所以(ゆえん)也。乃(すなわ)ち皇国千載に伝へ、皇統無窮に垂れんと欲する所以(ゆえん)なり。世の真理解せず、時情を悟らず、固陋自ら省みず、妄(みだ)りに尊王愛国唱へ、却(かえっ)て聖旨に違(たが)ひ、立憲政体準備計画防遏(ぼうあつ)し、皇家を率ゐて危難深淵に臨まんと欲する者と同一視べからざる也。是れ吾党が古今尊王多しと雖(いえど)も我自由党如くは無し古今忠臣義士尠(すくな)からずと雖も自由党諸氏忠愛真実なるに如(し)かずと為(な)す所以(ゆえん)なり。『自由党の尊王論』板垣退助

※この「自由党の尊王論」の解説は、「自由党 (日本 1881-1884)」の解説の一部です。
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