自由党での松本演説
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「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「自由党での松本演説」の解説
1954年7月7日、松本は自由党憲法調査会で講演を行い、2・13日会談での「マッカーサー元帥はかねてから天皇の保持について深甚の考慮をめぐらしつつあったのであるが、日本政府がこの自分の出した対策のような憲法改正を提示することは、右の目的達成のために必要である。これがなければ天皇の身体の保障をすることはできない」というホイットニー発言を紹介した上で、「そうしないと天皇の身体が保障されないということで仕方がなかった」と演説した。そして、出席議員の「向こうが改正案を急いだ理由は何か」という質問に対し、次のように証言した。 天皇を国際裁判に出すかどうかというところに問題があったと想像しております。向こうの言うことを呑めば出さない。呑まなければ出す、そういうわけで、そういうことになったら大変だと思って、よんどころなく急いでやったのです。嫌と言えないことだったのです。 — 『日本国憲法の草案について』(より このような談話は「これでは脅迫に他ならないではないか」、という見方を広く導き出すことになった。このような意味での「押し付け憲法論」が広く国民の間に広がったのは、この松本演説によるところが大きく、押し付け憲法論の「究極の論拠」は松本のこの証言であるという指摘がある。
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