自動車製造事業の開始
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浙江省へと戻った李は、深圳にて6000元で購入した「中華牌轎車」という自動車から、自動車産業に目を向けるようになった。しかし、1990年代頃の中国では、政府が民間企業による自動車製造を許可していなかったため、最初は作業工程が少なく、高い利益を得やすいオートバイ製造事業を始めることにした。事業開始から1年後に、李は中国初のスクーターを製造した他、浙江省の臨海経済技術開発区に850畝の土地を購入した。名目上は、オートバイの製造工場予定地として取得したが、実際には「吉利豪情汽車工業団地」という自動車生産の拠点を建設するために取得した土地であった。 1992年に燕山大学理学部に入学し、1995年に卒業した。 1995年に、李は「吉利集団有限公司」を設立し、会長となった。 1996年に、李はメルセデス・ベンツの新車を2台購入した後、中国第一汽車集団へと赴き、同社のブランドの1つである紅旗のシャーシやトランスミッション、エンジンを研究用に購入し、構造を模倣することで自動車を製造した。完成に喜んだ李は、公道にてその車を運転したものの、生産ライセンスなしで製造された違法車であったため、すぐに注意された。その後、偶然四川省徳陽市の刑務所が管轄する自動車工場が生産ライセンスを持っていることを知った李はすぐに徳陽に向かい、「四川吉利波音汽車有限公司」を設立し、その後、「吉利汽車制造有限公司」へと改称した。1998年8月8日に、製造ラインから第一号となる製品が出荷される際に、李は式典を行ったものの、当時は政府の生産目録に載っていなかったため、来賓としてきたのは省の副知事1名のみであった。
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