脱会のプロセスと捜査期間中の供述状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 15:41 UTC 版)
「広瀬健一」の記事における「脱会のプロセスと捜査期間中の供述状況」の解説
広瀬がオウムから脱会したプロセスは、破壊的カルトの会員が脱会するとされるプロセスと一致する。 S・ハッサン (2000) によると、カルトによる恐怖症は人間がつくり出した精神疾患であり、総合的なマインド・コントロールによる支配に不可欠な部分を占めている。恐怖症の植え付けは、カルトがメンバーを依存的で従順な人間に仕立て上げる、唯一の最も強力なテクニックである。恐怖症が無意識のうちに作用することによって、心理的に身動きできなくなる。批判的な判断力をもってリーダーの主張や教義を客観的に検討できる人が、恐怖症のために短絡的思考に陥り、自立的思考や行動ができなくなる。 この恐怖症は、恐怖の原因に対する感受性を低下させることで、その痕跡をなくせる。そのプロセスで重要なのは、恐怖の原因に慣れさせるための小さなステップを重ねることである。(『マインド・コントロールから救出』S・ハッサン 教文館 2000年 参考) 社会心理学者によると、広瀬が脱会を決意するまでには長い時間を必要とした。そのプロセスはヴァジラヤーナの教義や麻原のことを話そうとするたびに葛藤を経験し、それを乗り越えることの繰り返しだった。この繰り返しが植え付けられた恐怖心を乗り越えさせた。(広瀬に関する意見書参考) 地下鉄サリン事件の容疑で逮捕された後、広瀬は事件について黙秘した。ヴァジラヤーナの救済に関することを部外者に話すと、大変な悪業(三悪趣に転生する原因)になると説かれていたからだ。そのために、関与した全事件の捜査期間中にわたって、広瀬は弁護士にも事件のことを相談できなかった。 しかし、1日10時間に及ぶ厳しい取り調べが続き、広瀬は事件について供述せざるを得ない状況に追い込まれた。そのために、黙秘と供述を繰り返しながら数か月間かけて、悪業の程度が軽い順に7段階以上のステップを踏んで少しずつ供述する結果になった。やがて、広瀬は事件の動機がヴァジラヤーナの救済だったことや、地下鉄サリン事件の報告を麻原にしたことを供述するなど、重い悪業になる行為ができるようになった。 やがて、広瀬は事件の動機がヴァジラヤーナの救済だったことや、地下鉄サリン事件の報告を麻原にしたことを供述した。 このように広瀬は恐怖症が治癒されるプロセスを経て、植え付けられた恐怖心から脱却した状態になると、「ポア」の教義の矛盾に気づき、そして脱会した。この事実は、オウムによる洗脳やマインド・コントロールによって、広瀬の思考や行動が束縛されていたことと整合する。(出典追加中)
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