背景:大正時代の職業婦人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 04:02 UTC 版)
専門分野、事務職業、会社員、販売員などの第三次産業で働く女性を表す言葉として、大正時代から昭和初期にかけて「職業婦人」が用いられた。 1919年に刊行した与謝野晶子『心頭雑草』に「自動車の婦人運転手が東京に、婦人の郵便配達人が九州の某所に、(中略)、近く電車の婦人運転手が美濃国で採用されました。」とみえるように、大正時代に医師(女医)、教師、判任官、婦人運転手等のこうした専門分野で働く女性が目立つようになった。 1920年以降から、各種産業の合理化と第三次産業の拡大、西洋文化の波及とともに、女性の職種も会社員、洋式の美容師、タイピスト、エレベーターガールなど幅広い分野となり、1940年代にかけて職業婦人は急激に増加した。 日本の女性事務員としては、1888年(明治21年)に日本銀行、民間では1893年(明治26年)に三井銀行で採用されたのが初とされている。1920年(大正9年)には当時のサラリーマンの一割以上が女性となり、職業婦人、オフィスガールと呼ばれた。 東京市社会局が1924年(大正13年)に発表した『職業婦人に関する調査』では、教師・タイピスト・事務員・店員・看護婦・交換手の6種の職業につく900名の女性を調査対象としており、都会で働く当時の女性の代表的な職業がそれらであったことがわかる。大正末期頃からはバスの女車掌を「バスガール」、デパートの店員を「ショップガール」「デパートガール」、丸ビルで働く女性を「丸ビルガール」と呼ぶなど、当時としてはモダンでハイカラな「○○ガール」という呼称が流行、昭和に入るとやがて「円タクガール」「ガソリンガール」「マネキンガール」「ストリートガール」「芸者ガール」など性的な魅力で客を集める女性を意味する言葉として使われるようになった。 当時の主な女性の職業には、女給、デパートガール、エレベーターガール、バスガイド、事務員(タイピストなど)などがあり、ごく少数ながら教師、医者、弁護士、学者となる者もあった。
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