肝盗村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 03:59 UTC 版)
北海道寿渡似郡植白町(すとにぐん うえんするちょう)肝盗村。函館の東南35キロの場所に位置する漁村。古くはアイヌ語で「シンナイ・トイ」(変わる浜)と呼ばれていた。近隣住民からは胡乱な目で見られている。 江戸時代の記録に肝盗村の名前が残っている。 明治22年(1889年)、夜鷹山山頂にある古井戸の中に「正三角形の横穴」肝盗村遺跡が発見される。 明治32年(1899年)、アメリカのミスカトニック大学の考古学研究班が遺跡の調査にやって来るが、函館大火により人員と資料が焼失する。 大正10年(1921年)、無崎教授が調査を行ったところ、横穴の奥行きが22年前よりも短くなっていた。 昭和3年(1928年)9月10日早朝、軍が急襲して村人200人を検挙。住職・牧上紫観は狂乱して寺内の住居部に放火して焼死。さらに飛び火によって村の大半が焼失する。沖には爆雷が撃ち込まれた。牧上紫観はアカとも淫祀邪教の僧とも噂された。 昭和33年(1958年)9月9日、立てこもり事件。真言大学の学生がライフルを持ち、人質を盾に、寺宝を持って来いと宿に立てこもる。蓮観は寺宝を持たずに単身赴く。蓮観は2発撃たれるも、鉈の一撃で賊を殺す。 197X年 - 文弥18歳。進学のために東京に出る。 199X年 - 文弥40歳。22年ぶりに帰郷。 肝盗村遺跡の回廊は、測量するたびに奥行きが短くなり、また函館大火が起こるといういわくがついている。
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