考古学上の特筆点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 06:26 UTC 版)
山麓や周辺地域には旧石器時代 - 縄文時代の遺跡が多く見つかっている。当時、腰岳は黒曜石の九州最大の産地で、腰岳産黒曜石でできた石刃などの遺物はこれら周辺遺跡のみならず、九州全域、また沖縄本島や朝鮮半島の遺跡でも発見されており、遠くまで運搬され利用されていた。 北側の低地には平沢良遺跡、北麓の標高約100m付近には鈴桶遺跡があり、ともに1960年代に発掘調査が行われた。北麓には他にもいくつかの遺跡があり、旧石器時代後期から縄文時代晩期にかけての黒曜石の石刃や石刃核が大量に出土している。のち、開発に伴い標高200 - 300m付近でも小木原遺跡(旧石器時代後期)などが発見され、2014年の調査では標高400m以上の山頂部でも複数の遺跡が発見されるに至っている。 黒曜石は標高400m付近の地層のみならず、崩落や浸食に伴って山麓の崖錐堆積物や河原の転石となって分布し、広い範囲で採集できる。特に山の北から北西の斜面では、土中に人の頭から拳ほどの大きな塊で見つかる例もある。また、旧石器時代の海退期には、下流域の伊万里湾にも黒曜石が堆積し当時の人々の採集地となっていたのではないかといわれている。 なお、腰岳の河川下流域ではない北松浦半島や佐世保市、大村湾北岸付近でも、海成段丘中の礫層や海岸の礫の中に腰岳系の黒曜石が混じる例があり、現在と異なる地形であった更新世頃に運搬されたと考えられる。 また小規模ながら、有田流紋岩類が分布する伊万里市南部から有田町および武雄市西部にかけての地域でも黒曜石を産出する。
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