考古学上の意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 07:39 UTC 版)
メヘルガルはインダス文明の発生よりも古い遺跡である。イスラマバードのカーイデ・アーザム大学の考古学名誉教授 アフマド・ハサン・ダーニー は「メヘルガルでの発見はインダス文明の概念を根底からくつがえした」とし、「そこでは村が始まった当初から連綿と生活が続いていた」としている。パリのギメ東洋美術館のインダス・バルチスターン考古研究センターの Catherine Jarrige は次のように述べている。 「…カチ平原とボーラーン盆地はボーラーン峠に面しており、この峠がアフガニスタン南部、イラン東部、バルチスターン丘陵、インダス川渓谷を繋ぐ主要ルートになっている。ゆるやかな起伏のこの丘陵地帯はインダス渓谷の西端にあり、紀元前2500年ごろ、そのあたりでメソポタミアや古代エジプトと同時期に巨大都市文明が出現した。インド亜大陸で最初の継続的定住地は紀元前7000年から紀元前500年ごろまで存在したことが、ピラク(1968年-1974年)、メヘルガル(1975年-1985年)、ナウシャロー(1985年-1996年)の発掘調査で明らかとなった」 メヘルガルの銅器時代の人々は、アフガニスタン北部、イラン北部、中央アジア南部の文化とも交流をもっていた。
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