老婆役での活躍とテレビドラマ進出
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「田中絹代」の記事における「老婆役での活躍とテレビドラマ進出」の解説
1950年代中頃に40代半ばを迎えたがその後も女優業に邁進し続け、特に老婆役で優れた演技を見せるようになる。主演作こそ少なくなるものの、成瀬監督の『流れる』、家城巳代治監督の『異母兄弟』などに重要な役で出演。1958年(昭和33年)公開の木下監督『楢山節考』では自分の差し歯4本を役作りのために外して老婆を演じ、キネマ旬報賞女優賞を受賞。それ以降は脇役に回り、小津監督の『彼岸花』や市川崑監督の『おとうと』などで母親役を好演。 1965年(昭和40年)、黒澤明監督の『赤ひげ』に出演した後、パーキンソン病に罹った兄の看護に専念するため、しばらくは仕事を断るようになった。1968年に郷里・下関の赤間神宮で、「明治百年記念」と題して開催された先帝祭で「禿(かむろ)」に扮し、同郷の女優・木暮実千代と共に特別出演した。1970年(昭和45年)、NHK大河ドラマの『樅ノ木は残った』に出演。以降はテレビドラマにも活躍の場を広げ、『前略おふくろ様』の主人公の母親役や連続テレビ小説『雲のじゅうたん』のナレーションなどで親しまれた。また、1970年に紫綬褒章を受章。 1974年(昭和49年)、熊井啓監督の『サンダカン八番娼館 望郷』で元からゆきさんの老婆を演じ、ベルリン国際映画祭最優秀女優賞や芸術選奨文部大臣賞などを受賞した。1975年3月、日本経済新聞の『私の履歴書』の欄に田中の半生などが1ヵ月間に渡って掲載された。それまで神秘のベールに包まれてきた日本を代表する女優の半生が、初めて本人の言葉で明かされ、読者から大きな反響を呼んだ。
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