美声と怒号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:19 UTC 版)
トクヨは美声の持ち主だったといい、よく通る声であった。トクヨの弟・真寿は、「澄んだ美しいはりのあるソプラノで遠くまで凛々しくひびきその深みといい、強みといい、一度聞いたら耳にのこっていていつまでも忘れられないような魅力のある美しいものだった」と賛美している。代々木練兵場の軍人は「トクヨの号令は日本一」と讃えた。歌人として「伊豆能舍馨聲子」という雅号を使ったこともあるように、自身の声に自信を持っていた。 トクヨの声に関する逸話がいくらか残っている。 高等科4年の時、『日本外史』を朗々と読み上げる声が高等科2年にいた弟の清寿の教室まで聞こえてきた。 福島師範の学生時代には、帰省時に授業で習った唱歌を夕闇の中で大声で歌っていた。 石川高女では、浅野川の河原で早朝に号令練習をしていたところ、「全体、止まれ!」の号令に驚いた馬子が立ち止まった。 高知師範では桂浜で号令を練習し、いつしか土佐の荒波さえトクヨの号令に従った、という伝説を残した。また、運動会にはトクヨの号令を聞きに大勢の人が集まった。 東京女高師教授時代には、体操の授業を見学に来た校長団一行が小声で話していたところ、「出て行って下さい」の一言で黙らせた。生徒の精神統一を欠くから、というのが理由であった。トクヨの一声に一行は面食らったが、理由を聞いて納得して帰って行った。 トクヨの声は、体育指導や日常生活でしばしば雷が落ちたような大声となった。養女の美喜子は、トクヨを知る人で怒られた経験がない人はおそらくあるまいと記し、調査に来た特別高等警察を殴りつけたという「武勇伝」を披露している。特に弁解や不正、失礼なことに関しては厳しく叱りつけ、「お疲れ様でした」や「ありがとうございました」と声をかけられても叱ることがあった。それでも教え子はトクヨの愛情を感じて心服してしまい、トクヨに反発したり反抗心を持ったりすることはなかった。
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