編曲の過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 15:54 UTC 版)
「パガニーニの奇想曲による練習曲」の記事における「編曲の過程」の解説
シューマンは編曲にあたってピアノ演奏技巧や表現の点で苦労したと思われる。このことについて『パガニーニの奇想曲による6つの演奏会用練習曲』(作品10)の批評で「以前に出版された『パガニーニによる練習曲』(作品3)では、私はなるべく原作の一音一音を写しとり、ただ和声の組み立てだけにすることにした。」と述べている。編曲に対しシューマンは晩年のバッハの無伴奏ヴァイオリンやチェロの作品のピアノ伴奏付けの編曲でもそうであったように、原作を自由に改作することには慎重だった。 編曲においてシューマンはパガニーニの奇想曲の全曲を編曲したわけではない。作品3では原作の第5曲、第9曲、第11曲、第13曲、第16曲、第19曲が取り上げられた。編曲にあたってシューマンはハインリヒ・ドルンからの助けを得ている。シューマンはドルンに1831年7月から1832年4月の復活祭までの短期間、フーガや対位法などの作曲や創作の基本を学んでいた。そしてドルンがライプツィヒを離れることになった際、シューマンは彼に対して惜別の手紙をしたためている。そこには「再び貴方とカノンの勉強をする希望を捨ててはいないことを告白します・・・・パガニーニのカプリスをピアノ用に編曲するのにあなたの手助けがなくてたいへん困りました。低音部の扱いにしばしば自信がもてなかったのです。」などと記していることから、シューマンがドルンに対して強い信頼があったとともに彼にとって非常に大きな存在だったことが分かる。
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