絶頂と転落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 03:23 UTC 版)
「スマッシング・パンプキンズ」の記事における「絶頂と転落」の解説
パンプキンズのデビューアルバムが発売された1991年は、ちょうどニルヴァーナのネヴァーマインドが発表され、グランジブームを巻き起こしていた年でもあった。当時、パンプキンズは数多あるオルタナティヴ・バンドの一つにすぎないとみなされており、バンドの中心であるビリーは「次のアルバムで成功しなければ、その次はない」と考えるようになっていた。このようなプレッシャーの中で、2作目のアルバム『サイアミーズ・ドリーム』(1993年)は制作された。代表曲のひとつ「トゥデイ」を収録した同作は聴衆と評論家の双方に受け入れられ、プラチナに認定されるなど商業的にも成功した。 さらに、続く2枚組の大作アルバム『メロンコリーそして終りのない悲しみ』(1995年)は米国のみで一千万枚近くのセールスを記録。グラミー賞では7部門にノミネートされ、『タイム』誌による年間ベストアルバムに選ばれるなど、音楽的にも高い評価を得る。しかし、1996年7月、ツアー中のニューヨーク市においてヘロインによる薬物中毒によりサポートメンバーのジョナサン・メルビンが死亡、同室で薬物を摂取していたドラマーのジミー・チェンバレンが逮捕されるという事件が起きてしまう。バンドは苦渋の決断の末、チェンバレンを解雇する。 1998年に発売されたアルバム『アドア』は正式なドラマーの不在のもとで制作され、音楽的にもギターを中心としたサウンドから打ち込みを駆使したサウンドへと変貌を遂げた。しかし、アメリカ国内では前作ほどセールスが伸びず、商業的には失敗作とみなされる結果となった。 1999年、ビリーはジミーと連絡をとり、バンドに復帰させる。2000年には『マシーナ/ザ・マシーンズ・オブ・ゴッド』が発表されるが、アルバムの完成と同時にダーシーが脱退。急遽、後任のベーシストとして元ホールのメリッサ・オフ・ダ・マーを迎えることになった。
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