絶頂期〜解散へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/14 17:00 UTC 版)
「横須賀サーベルタイガー」の記事における「絶頂期〜解散へ」の解説
1986年に札幌にSABER TIGERと言う同名のバンドがいることが判明したためバンド名を「SAVER TIGER」に変更。神奈川歯科大学学園祭出演を最後に“Kill with Power”KOUSUKEが脱退。新ドラマーとしてTETSUが加入し、バンドの知名度も上がってくる。以降、関東近郊で精力的な活動を行なっていった。1987年1月4日の大宮フリークスでのブッキングの話があった時にREMの身内の不幸の為、ライブに参加出来無い事をメンバーに説明。その日のライブの重要性からライブは決行したいとのメンバーの要望もあり、HIDEとREMとで話し合い、当時REMの後輩で専属ローディだったギタリストでもあるシンが影武者としてステージ脇で演奏のみ参加する事となった。サーベルフリークでもあったシンは普段からサーベルの曲をコピーしていたので緊張はしたものの、なんとか形になった。この時HIDEはライブ前日徹夜で練習してREMのパートを無難にこなしたシンを褒め称え、後日焼肉を好きなだけおごるようREMに伝えたと言う。その事が発端となり、バンド第一優先と考えていたTETSUがバンド自体に疑問を持ち、音楽性の違いも相まって他のバンドに引きぬかれる形で脱退した。過去に何度も親友と呼べる友人達をバンドの方向性やテクニック重視という理由で影で涙を流すこともあったほどの覚悟でメンバーチェンジを繰り返してきたHIDEにとって、やっと先が見えてきた矢先のドラマーの脱退で、落胆の度合は激しく一時は音楽を辞めようかと口にしたほどだった。メンバー達も現メンバーが最高だったことを自負していたので新たなメンバーの補充は行なわず1987年1月28日、目黒鹿鳴館のコンサートを最後に解散した。
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