粟飯原家住宅(徳島県名西郡神山町)
名称: | 粟飯原家住宅(徳島県名西郡神山町) |
ふりがな: | あいはらけじゅうたく |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 2007 |
種別1: | 近世以前/民家 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1976.05.20(昭和51.05.20) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 徳島県 |
都道府県: | 徳島県名西郡神山町下分字栗生野125 |
所有者名: | |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行21.0m、梁間9.5m、寄棟造、鉄板葺、四面庇付、桟瓦葺、 背面突出部 桁行0.8m、梁間3.8m、切妻造、桟瓦葺 |
時代区分: | 江戸中期 |
年代: | 宝永7(1710) |
解説文: | 粟飯原家は鮎喰川上流左岸の山裾に建つ農家で、屋敷地は広く、前面に石垣を築く。平面は六間取りで、建築年代は棟札により、宝永七年であることがわかる。この住宅はこの地方における六間取りの平面をもつ最古の家で質もよい。 |
粟飯原家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/17 02:10 UTC 版)
粟飯原家住宅 | |
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所在地 | 徳島県名西郡神山町下分字栗生野125 |
位置 | 北緯33度57分55.3秒 東経134度19分33.6秒 / 北緯33.965361度 東経134.326000度座標: 北緯33度57分55.3秒 東経134度19分33.6秒 / 北緯33.965361度 東経134.326000度 |
形式・構造 | 寄棟造、鉄板葺、四面庇付、桟瓦葺 |
建築年 | 1710年(宝永7年) |
文化財 | 国の重要文化財 |
粟飯原家住宅(あいはらけじゅうたく)は、徳島県名西郡神山町にある歴史的な建造物。国の重要文化財に指定。
歴史
1351年(慶応2年)に下総国より阿波国に派遣された上山谷の6箇村の大庄屋である粟飯原家の分家である。当時の一般農家が2間取りから3間取りが普通であったのに対し、粟飯原家は6間取りあり、支配階級の民家として貴重なものとされている[1]。
建物は鮎喰川上流左岸の山裾に建っており、屋敷地は広く、前面に石垣が築かれている。建築年代は棟札により1710年(宝永7年)であることがわかる。粟飯原家住宅はこの地方における6間取りの平面をもつ家では最古の民家である。また1976年(昭和51年)5月20日に国の重要文化財に指定された[2]。
交通
脚注
- ^ “重要文化財 粟飯原家住宅”. 神山町. 2021年9月30日閲覧。
- ^ “粟飯原家住宅”. 文化遺産オンライン. 2021年9月30日閲覧。
外部リンク
- 粟飯原家住宅 - 文化遺産オンライン。
- 重要文化財 粟飯原家住宅 - 神山町。
- 粟飯原家住宅 - 阿波ナビ。
- 粟飯原家住宅のページへのリンク