粟飯原常世とは? わかりやすく解説

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粟飯原常世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 02:29 UTC 版)

粟飯原 常世
生誕 1850年8月
長門国 長州藩
死没 (1919-09-24) 1919年9月24日(69歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1872年 - 1905年
最終階級 陸軍少将
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粟飯原 常世(あいはら つねよ、嘉永3年8月[1]1850年〉 - 1919年大正8年〉9月24日[1])は、幕末長州藩士大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲二等功三級[2]

経歴

長門国阿武郡椿郷西分村(現山口県萩市)で、長州藩士・粟飯原衛門兵衛の長男として生まれた[3]四境戦争鳥羽・伏見の戦い戊辰戦争での奥州各地の戦闘に参戦した[3]

1872年明治5年)2月、陸軍少尉に任官[4]西南戦争では別働狙撃大隊(長:河野通好少佐)の第1中隊長を務め、佐賀県を転戦のち熊本城下守備につく[5]1891年(明治24年)4月に陸軍歩兵中佐歩兵第19連隊長に補任され、第3師団桂太郎中将隷下で日清戦争に出征し、海城攻防戦にて奮戦した[1][4][6]

その後、1894年(明治27年)11月に陸軍歩兵大佐1896年(明治29年)9月には本職を免じられ歩兵第14連隊長に補され、翌年の1897年(明治30年)12月に陸軍少将・歩兵第7旅団長に任官する[1][4][7][8]

1900年(明治33年)3月に休職するが、のち復職し、留守歩兵第20旅団長、そののち後備歩兵第5旅団長となり日露戦争に出征した[1][9]1905年(明治38年)11月、予備役[1]

栄典

位階
勲章等

脚注

  1. ^ a b c d e f 『日本陸軍将官辞典』12頁。
  2. ^ a b 陸軍中将勝田四方蔵外六名特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10110257600 、明治40年5月22日。
  3. ^ a b 『防長人物百年史』358頁。
  4. ^ a b c 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』31頁。
  5. ^ 第2号 10年4月16日~10年9月4日  (熊本連絡以来之)戦闘等月日及地所 軍団別働狙撃大隊第1中隊長 粟飯原大尉JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09080748700、報告 西南征討関係書類 明治10年2月26日~明治11年3月5日(防衛省防衛研究所)
  6. ^ 『官報』第2333号、明治24年4月14日。
  7. ^ 『官報』第3976号、明治29年9月28日。
  8. ^ 『官報』第4334号、明治30年12月10日。
  9. ^ 『官報』第5020号、明治33年3月30日。
  10. ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
  11. ^ 『官報』第3485号「叙任及辞令」1895年2月14日。
  12. ^ 『官報』第4347号「叙任及辞令」1897年12月25日。
  13. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」明治39年12月30日。

参考文献

  • 末弘錦江『防長人物百年史』山口県人会、1967年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



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