籾山書店とは? わかりやすく解説

籾山書店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/20 18:16 UTC 版)

籾山梓月」の記事における「籾山書店」の解説

次いで日本橋塩魚鰹節問屋の「籾山家」に入籍、籾山氏女婿となったこの頃、籾山庭後と名乗るうになる明治38年1905年高浜虚子から俳書堂を譲り受け東京市築地本願寺附近にて「籾山書店」を経営内藤鳴雪高浜虚子河東碧梧桐俳書とどまらず胡蝶本」の名で愛書家珍重される森鴎外夏目漱石谷崎潤一郎島崎藤村萩原朔太郎泉鏡花などの文芸出世作次々と発表西園寺公望雨声会にも影響与え大出版社となる。 明治43年1910年春に三田文学』の編纂人である永井荷風初め面会三田文学販売任され、そして営利度外視して三田文学俗化から守ることを要請され受諾した荷風を知ると、大正5年1916年)に荷風との2人雑誌文明 (雑誌)』を創刊井上啞々らも加わり趣味的高踏的な雑誌となるが、編集方針に関する意見合わず大正6年1917年)末で休刊となる。 その後、籾山は満を持して俳諧雑誌』を創刊東京丸の内三菱二十一号館内の俳書堂に編集部を置き、徳田秋聲によれば尾崎紅葉中心にした人々作った社の名前であったという。俳句綜合誌の先駆的雑誌であり、内藤鳴雪原月舟前田普羅飯田蛇笏大場白水郎久保田万太郎永井荷風松根東洋城執筆井上啞々が編集当たった。 句の心は東京下町風懐古趣味旧派堅持し、格調の芷しい俳句しか作らず、「即興的な抒情詩抒情的な印象詩」というまった特殊な存在であった雪中庵雀志門から出て12世・雪中庵継いだ増田竜雨は、旧派属しながら旧套になずむことを嫌い、『俳諧雑誌』系の俳人となった代表的な人物である。 『俳諧雑誌』は当時新傾向派の『ホトトギス』と双璧成した

※この「籾山書店」の解説は、「籾山梓月」の解説の一部です。
「籾山書店」を含む「籾山梓月」の記事については、「籾山梓月」の概要を参照ください。

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