植竹喜四郎とは? わかりやすく解説

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植竹喜四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/04 05:07 UTC 版)

植竹 喜四郎(うえたけ きしろう、1884年明治17年〉1月[1] - 1963年昭和38年〉[2][要出典])は、日本歌人(筆名・岸良雄)、実業家。下野鉄工、東野電力、植竹商業各取締役[1]

人物

栃木県大田原市黒羽向町出身。栃木県人・植竹三右衛門の三男、植竹三右衛門植竹龍三郎の弟[3]1915年、分家して一家を創立した[1]籾山梓月の経営する籾山書店を経て、文芸出版社の植竹書院を経営した。

大正時代の重要な文芸書シリーズ「現代傑作叢書」「現代代表作叢書」「文明叢書」「薔薇叢書」を刊行し、また広津和郎らの同人誌「奇蹟」の発行所となった。また「日月社」の発行者として、「反響叢書」「現代百科文庫文芸思潮叢書」なども出版した。植竹書院の翻訳部主幹は鈴木悦が務めており、翻訳叢書「植竹文庫」の一巻としてトルストイ戦争と平和』の全訳を刊行予定だったが、それを待たず1916年に植竹書院は廃業した[4]

その後は岸良雄名義で歌人としての活動に集中した。1925年には生活派口語短歌の歌誌「芸術と自由」創刊に編集同人として参画したが、中心人物であった西村陽吉と袂を分かち、「芸術と自由」を離れた。1957年、歌集『花蓮』を刊行した。

家族・親族

植竹家
  • 妻・富美1899年 - ?、栃木、島田兵一郎の妹[1]、島田雄三郎の二女[3]
  • 男(1915年 - ?)[1]
  • 二男(1923年 - ?)[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『人事興信録 第7版』う47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月26日閲覧。
  2. ^ 黒羽の人物 - 大田原市立図書館”. www.lib-ohtawara.jp. 2020年11月24日閲覧。
  3. ^ a b 『人事興信録 第8版』ウ34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月26日閲覧。
  4. ^ OdaMitsuo (1342537241). “古本夜話218 植竹書院の出版物とその後の行方”. 出版・読書メモランダム. 2020年11月24日閲覧。

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。



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