米軍式と旧陸軍式を巡る論争とは? わかりやすく解説

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米軍式と旧陸軍式を巡る論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 15:03 UTC 版)

兵学」の記事における「米軍式と旧陸軍式を巡る論争」の解説

陸上自衛隊旧陸軍将校参加したことで、その用兵思想米軍のものをそのまま受け入れるのではなく日本独自教範編纂する動き持ち上がったこのような動き受けて陸上自衛隊ではX号研究演習経て昭和30年(1955)には、新教編纂事業本格的に始まった先述平野北森信男(陸大52期)等が編纂関わり野外令(32年版)となって結実した。これは「作戦原則」を踏襲しつつも、作戦要務令には書かれ作戦原則には書かれていなかった遭遇戦における戦機捕捉についての記載が入るなど、旧陸軍以来兵学思想の影響見受けられる不確実性前提として「戦機捕捉」を重視する旧陸軍式と、統制調整による「戦力統合発揮」を重視する米軍式の論争その後くすぶり続けた野外令(32年版)の編纂グループ班長であった花見侃(陸大57期)は「1954年米軍野外令が伝来し、その見事さ屈し一方で燃え上るナショナリズム要求屈し反撥好み作戦要務令要素野合して、醜怪なる『独自の野外令』ができ上った。」と批判し作戦原則がわれわれの役には立たない考えれば今後我が国戦術的発展大きな支障があるとしている。 他方で、新教編纂開始した頃に陸上幕僚監部第5部長を務めていた高山信武陸大47期)によれば米軍顧問団防衛庁内から旧陸軍方式復活について警戒されていたという。 これらの論争その後陸自内部くすぶりつづけ、第4代幹部学校長岸重一陸大46期)や第5代幹部学校長井熊男陸大46期)は旧陸軍方式への回帰のため種々の変革行った。 しかし、井本校長から退いた昭和36年8月第6期幹部学校指揮幕僚課程入校式において、池上第五部長が杉田一次陸上幕僚長陸大44期)の訓示代読した際、来賓として呼ばれていた井本後任である第6代幹部学校長の新宮陽太(陸大47期)の間でこの訓示解釈から導き出される結論について激論交わされた。 井本戦略戦術思想旧陸軍方式とするよう主張したのに対し新宮米軍式を主張したためである。 新宮幹部学校前身である総隊学校第二部副校長の職にあった際に米軍戦術勉強しており、『日本式ドイツ式戦術1種芸術である。従って100点取れ名人も出るが、5060止まりの者も出る。その点米式戦術誰もが7080点の合格点取れサイエンス科学)である。』と評していた。 井本新宮議論が終わらなかったため、新宮その場にいた池上第五部長に対し教育訓練総括する第五部長としてこの場で判決を下すよう求めたが、池上議論避け杉田陸幕長意向確認する回答した最終的に杉田米軍式に方向転換させたが、そもそも新宮校長据えた時点で、米軍式に舵を切る意向があったという。 だが、新宮後任であり陸大戦術教官経験もある第7代幹部学校長の吉橋戒三(陸大50期)は、陸大戦術教育旧軍戦術指導的役割果たし、したがって自衛隊戦術にもかなり大きな影響与えているとしている。

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