米国留学で科学的スポーツ理論を学ぶ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 19:26 UTC 版)
「岡部平太」の記事における「米国留学で科学的スポーツ理論を学ぶ」の解説
1917年(大正6年)東京高等師範学校卒業後、「東京奠都(てんと)五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」(日本最初の駅伝大会)、第3回極東選手権競技大会(東京で開催)に大会役員として運営に関わる。 この年の6月、嘉納治五郎、内田信也の援助により、単身でアメリカ留学に出発。留学先のシカゴ大学でエイモス・アロンゾ・スタッグ教授よりバスケットボール・水泳・陸上競技・アメリカンフットボール、体育理論とコーチ理論を実地に学ぶ。アメリカンフットボールに関しては、実際に岡部は大学や近くのクラブチームでプレーを経験した(シカゴの地元新聞『シカゴ・トリビューン』に顔写真付きの記事がある)。後に自著「世界の運動界」の中で、日本で最初と思われるアメリカンフットボール解説を書いている。 また、留学中、岡部はあらゆる競技に興味を示し、ボクシング・ジムやレスリングの道場に通い、サッカー、野球、テニス等 片っ端から挑んだ。ペンシルベニア大学ではスポーツ生理学、ハーバード大学では女子体育の理論、体育史を学ぶ。米国で科学的なコーチ法を目にした岡部は、それまで精神主義一辺倒だった日本のスポーツの近代化に精力を傾けるようになる。
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