篠原一孝-正室・円智院、継室・松齢院とは? わかりやすく解説

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篠原一孝-正室・円智院、継室・松齢院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:53 UTC 版)

篠原重一」の記事における「篠原一孝-正室・円智院、継室・松齢院」の解説

円智院は、前田利家養女(利家実弟佐脇良之の娘)。円智院殿妙浄大姉妙法寺(金沢市)開基となる。現在、石川県指定文化財安土桃山時代描かれた「紙本著色圓智院妙浄画像篠原一孝夫人画像)」(縦、61.0、横、35.8妙法寺所蔵石川県立美術館保管)が残されている。一孝の間に女子設け美濃国大垣城主・伊藤盛正図書)の正室となる。慶長3年1598年8月30日死去墓所位牌とも妙法寺にある。 齢院は、前田家草創期の最高実力者青山吉次佐渡守、17000石)の娘。母は前田利家の妹(寺西九兵衛正室の子前田利長養女長寿院である。円智院他界後、前田利家遺言(状)によって、一孝の後妻となる。最初今石動城主・前田利秀(利家の末弟前田秀継の子)に嫁ぎ、利秀が病死早世したため篠原一孝再婚した。一孝の確認し得る5人の男子は、齢院との間にできたと言われている。しかし、配流となって慶長20年1615年)に早世した嫡男主膳一由(室は保智姫)を齢院の子とすると享年16歳以下で、保智姫より5歳ほど年下(それ自体は珍しいことではないが)となり、岩松誕生本阿弥光悦との交流家臣間の暗闘の中、一方譜代勢力)の頭目担がれそうになるなど年齢的に不自然である。主膳一由(貞秀)は、円智院との間にできた男子考えられる前田宗家からの輿入れとなる保智姫前田利家の九女)の夫(嫡男主膳一由)が配流早世では藩として都合が悪いのか、「諸氏系譜」では保智姫二男篠原一次の室とし、岩松嫡男・一由と保智姫の間に誕生した男子)を一次実子・虎之助として操作行っている。円智院も利家の養女として前田宗家からの輿入れのである同様の理由から、篠原一由主膳、貞秀)を齢院の子として、藩が操作したもの考えられる齢院は、前田利常とも交流があり、混乱危機にあった篠原別家支えた長生であり、承応3年1654年12月25日死去院殿胤栄大姉野田山墓地篠原別家墓所)に葬られる

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