第59回(2010年)まで
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「九州一周駅伝」の記事における「第59回(2010年)まで」の解説
1956年、高松宮宣仁親王が大会に賜杯。これにより「高松宮杯・西日本各県対抗九州一周駅伝競走大会」と改称。大会名称は、1960年に「高松宮杯争奪・西日本各県対抗九州一周駅伝競走大会」、1967年に「高松宮賜杯・西日本各県対抗九州一周駅伝大会」と改められた。 コースは、長崎市の平和祈念像前(平和公園)で原爆死没者の冥福を祈って黙祷の後スタートして九州各県を回り、最終日に福岡市の西日本新聞社本社前にゴールする約1056.6 km、合計72区間。長大なレースであることから、選手保護の為、選手が途中棄権してもチーム自体は失格(棄権)にはならずに『その区間の一番遅いタイムに5分加算』し次の区から再びレースが続行できる特別なルールがあった。 2001年は、大会50回記念と、サッカーワールドカップ日韓共同開催を翌年に控えていたため、初めて九州・山口地方9県以外のチームとして、韓国選抜がオープン参加し、累計9位となった。また2007年には関東学連選抜がオープン参加、4番目にゴールした。
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