第4期黄金時代(ラルフ・ハウク監督)
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「ニューヨーク・ヤンキース」の記事における「第4期黄金時代(ラルフ・ハウク監督)」の解説
そのステンゲル監督も、1960年のパイレーツとのワールドシリーズで最終戦の最終回にビル・マゼロスキーに本塁打を打たれてサヨナラ負けを喫すると、この場面でエースのホワイティ・フォードを起用しなかったことに批判が集中し、その責任を取り辞任した。この1960年で特筆すべきことはアスレチックスからトレードで獲得したロジャー・マリス外野手である。この年に本塁打39本でリーグMVPに輝いたマリスは、ヤンキースの至宝ともいわれたマントルとともにMM砲と呼ばれ、翌年1961年にはマリスは本塁打61本でベーブ・ルースのシーズン記録を破り、マントルも54本打って、シーズン終盤まで熾烈なホームラン争いをして、かつこの年の投手陣もホワイティ・フォードが25勝を挙げてサイ・ヤング賞を受賞し、ワールドシリーズでも前年からの無失点記録を32イニングに伸ばしてシリーズ記録を達成するなど、リーグ優勝とワールドシリーズ優勝を達成し圧倒的なヤンキースの強さを示した。しかしこのMM砲に代表される黄金時代は長くは続かなかった。翌1962年もリーグ優勝とワールドシリーズ優勝を果たしたが、マリスもマントルも1961年の時の成績を残すことは無かった。1963年にはリーグ優勝したが、ワールドシリーズではロサンゼルス・ドジャーズに4連敗で完敗し、ハウク監督は解任されて、翌1964年に捕手のヨギ・ベラを監督に就任させた。ベラ監督は1964年もリーグ優勝したが、ワールドシリーズではセントルイス・カージナルスと3勝3敗の第7戦に持ち込んだが敗れ、ベラ監督はわずか1年で解任されて、後任にはこの時ワールドシリーズで優勝したライバルのカージナルス監督ジョニー・キーンが就任した。結局この時代はリーグでは4連覇したが、ワールドシリーズでは2回優勝に終わった。 トッピングとウェッブは20年間に渡り球団のオーナーを務めたが、ワールドシリーズ出場を逸したのはたった5度であり、同シリーズでは10勝5敗の成績を残している。
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