第0期 結成とは? わかりやすく解説

第0期 結成 (1976 - 1977)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 02:43 UTC 版)

Negasphere」の記事における「第0期 結成 (1976 - 1977)」の解説

1976年11月23日茨城県立水戸第一高等学校でのスクールバンド活動終えた川崎薫は、上京先の吉祥寺JAZZ喫茶 西洋乞食にて、中学時代親友ドラマー高沢悟 (たかざわ さとる) に次期バンド構想提案ギタリスト川崎一緒だったスクールバンド SCRAP大森政人 (おおもり まさと) を推挙ヴォーカリスト高沢友人である木下誠一郎 (きのした せいいちろう) を推薦し最初期メンバー確定バンド名は、川崎提案により Negasphere (ネガスフィア) に決定したNegasphere というバンド名は、川崎中学時代お気に入りだった E・E・スミスSF 小説レンズマン・シリーズに登場する負の球体 (ネガスフィア)』から。彼は高校時代 SCRAP活動をする一方オリジナル曲演奏するバンド高沢とともに実現したいという願望抱きずっと、このバンド名をあたためていた。 現在の川崎キーボード担当であるが、Negasphere 結成当時川崎は主にベース担当ロックバンドにおける楽器必要性がまずドラムベースであること、親友高沢ドラマー志したためベース選択した。なお、Negasphere 最初期には、ベースコレクターとなり一番多い時期には14本のベース所有していた。 作曲については、次々と曲のモチーフ提案する高沢アイディアを、川崎書き起こすスタイル多数オリジナル曲作成していた。当時の彼らの作曲スタイルきわめて特異であった。まず、仮想アルバムのトータルテーマがあり、これにそって各曲タイトル設定がなされ、歌詞書き起こし、曲をつけるという、通常のバンドではおよそ考えられない順序作業をおこなっていた。しかも、このころから歌詞は英語という姿勢一貫している上に、年間で約20曲というハイペースヴォーカリスト木下逃亡 (ヤマハ主催EastWest'77 予選エントリーするも、当日木下会場現れずに出場辞退。このときの覇者サザンオールスターズ。) という事態を引き起こした

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