第二阿房列車とは? わかりやすく解説

第二阿房列車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 08:24 UTC 版)

阿房列車」の記事における「第二阿房列車」の解説

雪中新潟阿房列車 1953年昭和28年2月22日 - 24日往復とも駿足の上越線急行越路」による東京 - 新潟旅行記豪雪地帯風景と、当時日本最長であった清水トンネル体験するため、百閒は窓の曇り取り用にアルコール小瓶準備するほどの徹底ぶりを見せ道中雪景色変わり目楽しみにしていたが、出立の日の東京は既に一面大雪で、出鼻をくじかれる羽目になる。 なお、新潮文庫版本文中には長岡駅 - 新潟駅間における描写として「蒸気機関車C59豪壮な汽笛の音が…」との記述があるが、C59形が同区間走行した記録存在しない雪解横手阿房列車 1953年昭和28年2月28日 - 3月4日奥羽本線阿房列車立ち寄った横手への再訪記。旅程急行鳥海」の寝台車での単純な往復で、横手での滞在記が主体となる。 春光山陽特別阿房列車 1953年昭和28年3月14日 - 18日山陽本線特急「かもめ」処女運転(1953年昭和28年3月15日試乗主体八代までの旅行記国鉄当局から処女運転への招きを受け、ひねくれた逡巡の末にこれを受けるまでの経緯冒頭語られる百閒「かもめ」という列車名が気に入らずトンネルだらけの山陽本線を走る列車では海もろくに見えない特急「からす」の方がよかった、と皮肉を飛ばす。 九州阿房列車 前章後章 1953年昭和28年6月22日 - 28日、三たびの八代への旅行記。時を同じくして北九州地区昭和28年西日本水害襲い関門トンネル水没するなどの被害出しているが、百閒豊肥本線日豊本線でのアクシデントも運良く切り抜け最後門司駅折り返しとなった急行きりしま」に乗り込んで関門トンネル水没前に間一髪帰京している。

※この「第二阿房列車」の解説は、「阿房列車」の解説の一部です。
「第二阿房列車」を含む「阿房列車」の記事については、「阿房列車」の概要を参照ください。

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