第二次世界大戦後:音楽顧問ワルターとミトロプーロスの時代とは? わかりやすく解説

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第二次世界大戦後:音楽顧問ワルターとミトロプーロスの時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 22:44 UTC 版)

ニューヨーク・フィルハーモニック」の記事における「第二次世界大戦後:音楽顧問ワルターとミトロプーロスの時代」の解説

ロジンスキー厳格なトレーニングニューヨーク・フィル立て直しつつあったが、あまりにも厳格な姿勢楽員から疎まれ、また現代曲を積極的に取り上げたプログラム・ビルディングは理事会からも反発買った。彼はズボンの尻ポケットピストル入れてオーケストラとの練習臨んでいたという。1947年から1949年にかけてまたもや音楽監督置かずブルーノ・ワルター音楽顧問という形でニューヨーク・フィル中心的存在となっていた。 1949年から1950年は、レオポルド・ストコフスキーギリシャ出身ディミトリ・ミトロプーロスが同じ立場継いだミトロプーロス1951年音楽監督となった。彼はリハーサルからすべてを暗譜で行うという驚異的な記憶力持ち主で、切れ味鋭い解釈集中力の高い演奏高く評価されていた。残され録音聞いても、彼の個性色濃く反映され演奏が多い。レパートリー広く、とくに現代曲を多く取り上げたが、これがまた楽員保守的な聴衆から反感を買った1940年代から1970年代までの長きわたって首席オーボエ奏者つとめた伝説的な名手ハロルド・ゴンバーグは、ミトロプーロス反対運動中心人物でもあった。オーケストラ求心力取り戻せないまま低迷続きニューヨーク音楽界マスメディアには、フィルハーモニックの救世主待望する論調見られるようになってきた。 なお、1950年代にエヴェレスト・レコード社から、レオポルド・ストコフスキーレナード・バーンスタインカルロス・チャベス作曲家で、自作自演行った)などが指揮するニューヨーク・スタジアム交響楽団」のレコード発売されているが、これは契約上の関係からのニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団変名だといわれている(いわゆる覆面オーケストラ」)。

※この「第二次世界大戦後:音楽顧問ワルターとミトロプーロスの時代」の解説は、「ニューヨーク・フィルハーモニック」の解説の一部です。
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