第二次世界大戦後の駆逐戦車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 01:39 UTC 版)
「駆逐戦車」の記事における「第二次世界大戦後の駆逐戦車」の解説
1950年代の終わりから1960年代初頭にかけて対戦車ミサイルが開発され、軽快な装甲車や偵察車にも搭載され始めると、明確な兵器区分としての駆逐戦車は消えていった。第二次世界大戦においては、アメリカ軍の駆逐戦車が一撃離脱を狙ったのに対し、ドイツ軍やソビエト軍の駆逐戦車はそこそこの装甲を持ち、待ち伏せ攻撃を行う設計になっていた。戦後、前者の発展系として最初に登場したのは無反動砲や有線誘導の対戦車ミサイルであった。 しかしこれらは装甲防御力を欠いたため、装甲車に対戦車ミサイルを搭載した自走対戦車ミサイルが開発された。また、対戦車ヘリコプター、多連装ロケットシステムなども登場した。 一方、後者の系統は充分な能力を持つ主力戦車が充分な数揃えられたことや、歩兵でも扱える携行型対戦車ミサイルの発達・普及により、存在価値を失ってしまった。とりわけ空対地ミサイルの信頼性が向上すると、地上部隊による対戦車攻撃の意義は薄らいだ。しかし高価な航空兵器に頼れない状況やスウェーデンなど独自の軍事構想を持つ国では、依然として駆逐戦車に類する車両が有用な場合もある。
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