第二次世界大戦後以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 03:46 UTC 版)
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国となった戦後、1947年にザグレブ見本市が開かれている。その後、1950年代の中頃からサヴァ川の南に、いわゆるNovi Zagreb(新ザグレブ)と呼ばれる新興住宅地ができた。市街は東西方向にも拡大し、かつてはただの村に過ぎなかったドゥブラヴァ (Dubrava)、ポドシセド (Podsused)、ヤルン (Jarun)、ブラト (Blato) などを飲み込んでいった。貨物鉄道のハブとザグレブ国際空港がサヴァ川の南に作られた。南東にある最大の工業地帯 (Zitnjak) は、サヴァ川とプリゴリェ地方 (Prigorje) の間にある市の東側郊外での工業地帯の拡大を代表する。1987年、ザグレブはユニバーシアードの開催都市となった。1991年から1995年にかけて起こったクロアチア紛争時には散発的な戦闘がユーゴスラビア人民軍(英語版) (JNA) のバラック周辺で発生しているが大規模な戦災からは逃れている。しかし、1995年5月にセルビア側の攻撃目標とされ2発のロケット砲の攻撃であるザグレブロケット砲撃(英語版)に遭い7人の市民が死亡している。
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