竹島問題とのかかわり
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日本と韓国の双方が領有権を主張する竹島(韓国名、独島)をめぐって、韓国側が竹島(独島)の旧称であると主張する「于山島」が、現在の鬱陵島の北東に隣接する竹嶼であることを示す記述が、日省録で確認されている。確認したのは、韓国国内で竹島問題を研究するアメリカ人のゲーリー・ビーバーズで、2007年、このことをインターネット上で発表した。これによれば、『日省録』1807年の記述に、鬱陵島周辺を踏査した官吏の報告として「北有于山島周回為二三里許(「于山島あり。周回二・三里(一周、800から1200m)ばかりとなす。南、都庄仇味に至る」)」すなわち、鬱陵島の北に「于山島」があり、その周囲は2、3里(韓国里で800メートルないし1,200メートル)で、竹島のように二島で構成されるものではないというもので、これに相当するのは竹島(独島)ではなく竹嶼であり、古地図だけではなく文献上もそのことが確かめられた意味合いがある。
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竹島問題とのかかわり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 00:53 UTC 版)
大韓民国政府が島根県竹島をふくめたかたちでの「李承晩ライン」を宣言したのは、前年9月に調印したサンフランシスコ講和条約が発効(1952年4月28日)する約3か月ほど前の1952年1月18日のことである。このとき、韓国政府の兪鎮午は、歴史家として著名であった崔南善のもとを訪れ、「歴史的に見て韓国領として主張のできる島嶼」の存在を質問した。兪鎮午は、崔南善から「独島」が韓国領であることを「確信できる程度の説明を受けた」という。 ただし、崔南善は1948年発行の『朝鮮に関する一般知識』のなかで、朝鮮の東端を東経130度56分23秒(「慶尚北道 鬱陵島 竹島」、ここでいう「竹島」は鬱陵島に東接する「竹嶼」のこと)と記しており、島根県竹島(韓国名、独島)を朝鮮(韓国)領とは認めていない。また、崔が1953年8月から『ソウル新聞』に連載した「欝陵島と独島」においても、竹島を韓国領とする論拠は乏しいものであり、それは独島を、朝鮮の文献に登場する「三峰島を指すのかもしれない」「可支島ではないか」という程度のものであった。
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竹島問題とのかかわり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 14:18 UTC 版)
韓国政府が島根県竹島をふくめたかたちでの「李承晩ライン」を宣言したのは、前年9月に調印したサンフランシスコ講和条約が発効(1952年4月28日)する約3か月ほど前の1952年1月18日のことである。このとき、韓国政府にあった兪鎮午は、日本統治時代から史家として著名であった崔南善のもとを訪れ、「歴史的に見て韓国領として主張のできる島嶼」の存在を質問した。兪鎮午は、崔南善から「独島」が韓国領であることを「確信できる程度の説明を受けた」という。ただし、崔南善自身は1948年発行の『朝鮮に関する一般知識』のなかで、朝鮮の東端を東経130度56分23秒(鬱陵島・竹嶼)と記しており、竹島(韓国名、独島)を朝鮮(韓国)領とは認めていない。
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