立花大亀とは? わかりやすく解説

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立花大亀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/08 08:33 UTC 版)

立花 大亀
1899年12月22日 - (2005-08-25) 2005年8月25日(105歳没)
大亀宗雄
生地 日本 大阪府堺市
宗旨 臨済宗
宗派 臨済宗大徳寺派
寺院 大徳寺、徳善寺、南宗寺
清隠道厳
著作 「度胸の据え方」、「利休に帰れ」、「死ぬるも生れるも同じじゃ」他
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立花 大亀(たちばな だいき、1899年明治32年)12月22日[1] - 2005年平成17年)8月25日[2])は、日本の臨済宗禅僧茶人書家

概略

1899年明治32年)12月22日大阪府生まれ[2]菩提寺檀家総代の家に育つ[2]堺市立実業補習学校卒。

1921年大正10年)、生まれ育った堺市南宗寺得度し、禅僧として歩み始める[2]大徳寺塔頭の徳禅寺住職を経て、1953年昭和28年)に大徳寺派宗務総長[2]、さらに管長代務者に就任[2]1968年(昭和43年)5月、大徳寺511世住持となる[1]。以後、大徳寺最高顧問[1]1973年(昭和48年)、大徳寺山内に如意庵再興。1980年(昭和55年)、奈良大宇陀に松源院再建。1982年(昭和57年)4月から1986年(平成6年)3月まで、花園大学の学長を務めた[2][3]

茶道に精通し、茶人書家としても知られる[2]。また、池田勇人元首相をはじめ、福田赳夫元首相、松下幸之助ら多くの政財界人と交流[1][2]。禅の教えを元にアドバイスを行ったことから「政界の指南役」と言われた[2]

安藤忠雄淡路市本福寺権力のシンボルである大屋根がなく、蓮池の地下本堂水御堂」建設の案を檀家の前で説明したところ、住職を始め、300余りの檀家全員が反対した。さすがに全員反対には驚いた安藤がとった策は、当時すでに90歳を超える大亀に意見を求めることであった。安藤から話を聞いた立花は「これはいい。なぜなら仏教の原点のハスの中に入るというのは一番良い姿だ。自分も冥土へ行く前に見たい」といい、2、3人の檀家代表に話をした。次の話し合いに出席すると、信徒らの意見は180度変わっており、全員賛成だった。そこで安藤は「あなた方、この間全員反対だったじゃないか」と問うと、「いや、それは安藤さんの空耳じゃないか」といわれた。安藤はムッとして「漏るかもわからんぞ」と脅かしたところ「新しいことに挑戦しているのだから、少々は仕方がないでしょう」といわれたという[4]

2005年平成17年)8月25日、急性肺炎のため死去[5]

著書

単著

  • 『茶禅論』岡田重次、1939年。 
  • 『人生問答 立花大亀対談集』経済春秋社、1956年。 
  • 『鐘の声』経済春秋社、1957年。 
  • 『人生問答 立花大亀対談集 続』経済春秋社、1960年。 
  • 『人生問答 立花大亀対談集 第3集』経済春秋社、1960年。 
  • 『遊行』経済春秋社、1960年1月。 
  • 『度胸の据え方』実業之日本社、1961年。 
  • 『人として生きる』徳間書店、1970年。 
  • 『禅者のことば』徳間書店、1972年。 
  • 『おのれを生かし人を生かす』主婦の友社、1980年1月。 
  • 『利休に帰れ いま茶の心を問う』主婦の友社、1983年4月。ISBN 4079172826 
  • 『死ぬるも生れるも同じじゃ』PHP研究所、1983年8月。 ISBN 4569211186 
  • 『利休の佗び茶』主婦の友社、1989年4月。 ISBN 4079297246 
  • 『大亀禅話 1』如意庵、2007年8月。 
  • 『大亀禅話 2』如意庵、2007年8月。 
  • 『大亀禅話 3』如意庵、2007年8月。 
  • 『大亀禅話 4』如意庵、2007年8月。 
  • 『大亀禅話 5』如意庵、2007年8月。 
  • 『大亀禅話 6』如意庵、2007年8月。 
  • 『大亀禅話 7』如意庵、2007年8月。 
  • 『大亀禅話 8』如意庵、2007年8月。 
  • 『大亀禅話 9』如意庵、2007年8月。 
  • 『大亀禅話 10』如意庵、2007年8月。 
  • 『利休に帰れ いま茶の心を問う』(新装)里文出版、2010年3月。 ISBN 9784898063491 
  • 『なぜ、いま禅なのか 「足る」を知れ!』里文出版、2011年4月。 ISBN 9784898063699 
  • 『利休の茶を問う』世界文化社、2012年6月。 ISBN 9784418125074 

共著

  • 松下幸之助、立花大亀『人間本来の姿に立ち返ろう』現代史出版会、1972年。 

脚注

  1. ^ a b c d 立花大亀和尚の略歴”. 一般財団法人大亀和尚民芸館. 一般財団法人大亀和尚民芸館. 2024年2月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 立花大亀 「政界の指南役」と言われた禅宗界の長老、死去”. 情報・知識&オピニオン imidas. 集英社. 2024年2月8日閲覧。
  3. ^ 建学の精神 花園大学
  4. ^ 『建築手法』(安藤忠雄、二川幸夫 共著)
  5. ^ 「政界の指南役」と言われた禅宗界の長老、死去

外部リンク

先代
大森曹玄
花園大学学長
1982-1986
次代
盛永宗興


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