二川幸夫とは? わかりやすく解説

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二川幸夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 05:31 UTC 版)

ふたがわ ゆきお

二川 幸夫
生誕 1932年11月4日
大阪府大阪市
死没 (2013-03-05) 2013年3月5日(80歳没)
著名な実績
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二川 幸夫(ふたがわ ゆきお、1932年11月4日 - 2013年3月5日)は、日本の建築写真家、建築批評家[1]

来歴

大阪市出身。 1951年大阪市立都島工業高等学校建築科卒業[4][5]、1956年に早稲田大学文学部を卒業。在学中、建築史教授・田辺泰の勧めで民家の撮影を開始[2]

1957 - 59年、美術出版社から『日本の民家』全10巻(文:伊藤ていじ)を発表。1959年、同著によって毎日出版文化賞を受賞する[2]

1970年、建築書籍専門の出版社「A.D.A.EDITA Tokyo[6]を設立[1][2]。建築デザイン専門誌「GA JAPAN」などを発行した[1]

安藤忠雄妹島和世ザハ・ハディド[7]ら、建築家の才能をいち早く見い出し、紹介した[8]。また、坂茂は大学卒業後、最初の仕事が二川のアシスタントだったという[9]

米建築家フランク・ロイド・ライトの全作品集出版などでも知られた[8]

2013年3月5日、腎盂がんのため死去(享年80)[1][5][8]

脚注

  1. ^ a b c d e f 二川幸夫(ふたがわゆきお)とは - コトバンク知恵蔵mini
  2. ^ a b c d e f g h i 二川幸夫・建築写真の原点 日本の民家一九五五年 - パナソニック 汐留ミュージアム アーカイブ 2016年3月4日 - ウェイバックマシン
  3. ^ 平成17年秋の叙勲 旭日小綬章等受章者 東京都” (PDF). 内閣府. p. 3 (2005年11月3日). 2006年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月24日閲覧。
  4. ^ Mニュース47号 都島だより 訃報欄” (PDF). 浪速工業会関東支部 (2013年7月). 2023年10月1日閲覧。
  5. ^ a b 建築写真家の二川幸夫さん死去 日英併記の建築誌発行 - 朝日新聞デジタル、2013年3月11日
  6. ^ 息子の二川由夫、二川立夫が事業を継いでいる。
  7. ^ 新国立競技場をデザイン 建築家ザハ・ハディドさん - 産経msnニュース、2013年4月8日
  8. ^ a b c 建築写真家の二川幸夫さんが死去 - スポーツ報知、2013年3月11日
  9. ^ 坂茂 p.9 - 建築レクチュアシリーズ217、2012年10月10日



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