立浪襲名後
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1995年4月には立浪一門の総帥である立浪の長女と結婚し養子縁組を結び婿養子となり、立浪部屋の後継者となった。1999年2月には立浪が停年を迎えるため、余力を残しながら1月場所中に引退した。準年寄・旭豊を経て2月に年寄・立浪を襲名して立浪部屋を継承した。ところが、部屋経営や指導方針の意見の違いから先代と対立するようになった。そして対立が表面化した時期は引退相撲の直後だった。引退相撲の利益を先代とその妻に持ち逃げされるなどの問題が発生し、部屋を継承してから1年も経たずに金銭管理面での対立等が原因となって先代の自宅ビルから移転、別居状態に陥ってしまった。 そして女性問題の発覚で離婚及び養子縁組解消の訴訟、先代からは部屋の明け渡し及び年寄名跡の襲名継承金(譲渡代金)1億7500万円の支払いを求める訴訟を起こされた。最高裁までもつれ込み、結局完全勝訴したが年寄名跡の価値と対価の釣り合いが取れているかなどが問題になった。一時は関取が不在で低迷していた時期があったが、2006年1月場所には猛虎浪が十両に昇進し、久し振りに関取が誕生した。また先代の長女との離婚後、2004年11月には別の女性と再婚している。なお2003年、先代と対立して相撲界を去った元横綱・双羽黒の北尾光司を部屋のアドバイザーに迎えている。 2007年に部屋を両国から茨城県つくばみらい市へと移転した。 2011年、弟子の猛虎浪が大相撲八百長問題に関与した責任で、委員から主任へ降格(後に委員へ復帰)。
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