突撃隊と軍部の争いとは? わかりやすく解説

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突撃隊と軍部の争い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 22:46 UTC 版)

長いナイフの夜」の記事における「突撃隊と軍部の争い」の解説

エルンスト・レームは、貴族ユンカー幹部占める今の正規軍国軍(Reichswehr)」では、ヴェルサイユ条約打破して再軍備かなったとしても結局、旧プロイセン王国的な旧式軍隊にしかならず、近代戦争に対応できる軍隊にはならない考えていた。彼が理想とするのは国民軍形態であった突撃隊5つ突撃隊上級集団軍隊の「軍団」に相当)と18突撃隊集団(「師団」相当)で構成され国軍の5倍にあたる兵力保持し軍隊同等規律有し、その指揮官達は元将校たちで占められていた。いつでも国軍(Reichswehr)に取って代わることができる状態であった軍部突撃隊警戒しつつも初め利用考えた国防省軍務局長ヴァルター・フォン・ライヒェナウ少将突撃隊東部国境警備民兵にしたり、国軍予備戦力にしたりするため、突撃隊接触し1933年5月には突撃隊国軍その旨協定結んでいる。協定では突撃隊国軍管轄下になるはずであったが、レームはやがて東部国境での独立的指揮権武器庫監督権主張するようになり、国軍対立深めた1934年2月レーム国防省覚書送ったが、内容あまりに過激であったため、国防相ヴェルナー・フォン・ブロンベルク上級大将は、司令官会議席上レーム全国国防組織SA傘下入れ国軍をただの訓練機関にしようとしている。」と結論する至ったこのためブロンベルクはついにヒトラー裁可を仰ぐこととした。 ヒトラーとしても、軍との連携必要不可欠考えており、そのためにもレームSA処遇決定する必要があったが、レーム粛清乗り気でないヒトラーは、まずは国軍突撃隊和解させよう試みた1934年2月28日ヒトラーは、ブロンベルク下国省幹部レーム以下突撃隊幹部国防省集め両者和解求めた二人ヒトラー前にして「ドイツ唯一の武装兵力は国軍(Reichswehr)であり、突撃隊SA)は軍事活動準備補修訓練にあたる」ことで合意し、一応握手をした。しかしレーム突撃隊幹部協定を守る様子はなく、引き続き国軍突撃隊睨み合い続いた以降ライヒェナウなどの国軍幹部突撃隊粛清企む親衛隊SS)に接近して粛清準備協力することとなる。

※この「突撃隊と軍部の争い」の解説は、「長いナイフの夜」の解説の一部です。
「突撃隊と軍部の争い」を含む「長いナイフの夜」の記事については、「長いナイフの夜」の概要を参照ください。

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