穢れの忌避
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:46 UTC 版)
島全体が神域(神体)とされたため、血や死といった穢れの忌避は顕著であった。 『棚守房顕覚書』によれば、島に死人が出ると即座に対岸の赤崎の地に渡して葬っている。赤崎は現在のJR宮島口駅のやや西にあり、遺族は喪が明けるまで島に戻ることができなかった。「~の向こう」と言うと「あの世」を連想するため、「~の前」と言い換えていた。この風習は第二次世界大戦頃までは続いていた。また、島には墓地も墓も築いてはならず、現在でも1箇所も1基も存在しない。島の妊婦については、『棚守房顕覚書』に「婦人、児を産まば、即時に子母とも舟に乗せて地の方に渡す。血忌、百日終わりて後、島に帰る。血の忌まれ甚だしき故なり」とあるように、出産が近づくと対岸に渡り、そこで出産を終えたのち、100日を過ごすことで血の穢れが払われれば、ようやく島へ戻れるという仕来りがあった。 厳島神社の境外摂社を「地御前神社」(所在地:廿日市市地御前、江戸時代における安芸国佐伯郡地御前村)というように、ここでいう「地の方」とは対岸の本州を指す。また、生理中の女性も、やはり血の穢れを忌避されて、町衆が設けた小屋に隔離されて過ごした。この様子を『棚守房顕覚書』は「『あせ山』とて東町・西町の上の山にあり。各々茅屋数戸を設けたり。『あせ山』は血山なるべし。島内婦人月経の時、その間己が家を出て此処に避け居たりし。」と記している。
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