おんでんのすいしゃ〔ヲンデンのスイシヤ〕【穏田乃水車】
穏田の水車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 09:56 UTC 版)
大正時代の末頃まで、この一帯には石田、村越、鶴田といった名前の水車が点在し、精米が行われていた。穏田の水車は、葛飾北斎が名所絵揃物『富嶽三十六景』の中で、第9図「穏田の水車」として描いたことで知られている。現在では、近隣にある渋谷区立神宮前小学校の校庭に、穏田の水車と渋谷川の復元模型が設置されている。北斎が「穏田の水車」として描いた水車は、この小学校の近く、穏原橋の上流にあった。 また、穏田に生まれ育った作曲家・米山正夫の作品のひとつに歌謡曲『森の水車』があるが、これは穏原橋水車を思い浮かべながら作ったものであるといわれている。1942年(昭和17年)9月に発売されたこの曲は、1951年(昭和26年)8月に再発売され、NHKラジオ歌謡として全国で愛唱された。
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