庚午事変
(稲田騒動 から転送)
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庚午事変(こうごじへん)は、明治3年(1870年)に当時の徳島藩淡路洲本城下で洲本在住の蜂須賀家臣の武士が、筆頭家老稲田邦植の別邸や学問所などを一方的に襲った事件。稲田騒動(いなだそうどう)とも呼ばれる。
- ^ 司馬遼太郎『街道をゆく<32>阿波紀行・紀ノ川のみち』ISBN-13: 978-4022640147
- ^ (蜂須賀家の家臣の家臣)
- ^ 士族は禄(家禄)が与えられるが、陪臣は禄がない。事実上の失業である。
- ^ 華族令によって大名は華族となり、大名の家臣は士族となる。
- ^ 蜂須賀家の阿波入府当初、稲田家が治めていたのが脇城。稲田家は淡路島以外に脇にも知行地があった。
- ^ 「名誉ある自決」とされていた。
- ^ 石川県立図書館 (2015年12月1日). “「明治忠臣蔵」「明治最後の仇討ち」と言われた、本多政均(ほんだまさちか)暗殺について載っている簡単な資料はないか。”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館. 2021年4月21日閲覧。
- ^ 谷正之「弁護士の誕生とその背景(3) : 明治時代前期の刑事法制と刑事裁判」『松山大学論集』第21巻第1号、松山大学総合研究所、2009年4月、279-361頁、ISSN 09163298、NAID 110007579200、2021年6月1日閲覧。
- ^ 稲田家の北海道開拓費用を兵庫県が出した為と言われる。
- ^ a b 矢島幸運、「岩野泡鳴と彼の恩人エマソン」『現代英米研究』 1974年 9巻 p.47-58, doi:10.20802/geneiken.9.0_47, 英米文化学会
- ^ 徳島県立文学書道館より抜粋。
- 1 庚午事変とは
- 2 庚午事変の概要
- 3 経緯
- 4 処罰を受けた主な人物
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