福島県成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 00:58 UTC 版)
1876年8月21日の第二次府県統合によって、福島県1876年以前(中通り)・若松県(会津地方)、磐前県(いわさきけん。浜通り)の3県が合併され、現在の福島県が設置された。 明治初期の福島県内の都市人口順位は、第1位が若松町(会津若松市、旧若松県庁所在地、1899年市制)、第2位が福島町(福島市、旧福島県庁所在地、1907年市制)という順位であり(→東北地方#人口)、県庁所在地を決める際にこの2都市が対立した。一方、浜通りには、平町(いわき市平地区、旧磐前県庁所在地、1937年市制)と中村町(相馬市中村地区、旧中村県庁所在地、1954年市制)という2つの旧県庁所在地が並立していたが、蚊帳の外に置かれてしまった。 1876年設置の福島県庁が福島市に置かれた要因として: 徳川時代から信夫郡や伊達郡の一帯が、日本有数の養蚕業の中心地となっており、会津藩に次ぐ福島県内第2位の規模を有した城下町として栄えていた。。明治時代前期の殖産興業政策下で製糸業が発達して資本の集約が起きて、東北第1号の日本銀行支店が置かれるなど発展していた点。 若松、白河、棚倉、二本松、平、中村といった福島県内の主だった藩の城下町に対し、薩長が樹立した明治政府と敵対していており、ある程度の規模を有していた城下町で唯一戦火を逃れたのが福島であった。 といった点が挙げられる。
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