祭りの由来と遍歴とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 祭りの由来と遍歴の意味・解説 

祭りの由来と遍歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 23:43 UTC 版)

唐津くんち」の記事における「祭りの由来と遍歴」の解説

唐津神社神職務め戸川家の口碑によると、神輿御神幸寛文年間1661年-1673年)に始まったとされる今日神幸行列のように曳山がこの祭り登場するのは、一番曳山(いちばんやま)の「赤獅子(あかじし)」が文政2年1819年)に奉納されてからのことである。以後曳山明治9年1876年)までに15台が製作されているが、うち1台は消失し今日奉納されているのは14台である。消失した曳山紺屋町製作した黒獅子】で、明治22年1889年)が最後巡行となった。この原因には諸説あり、宵宮提灯の火がつき消火のために堀に落としたところ、損傷激しいために廃棄したという説もある。しかし、その時代に現在のような宵曳山行事はなく、真相はっきりしない。 本来の「くんち」は、唐津神社縁起あわせて旧暦9月29日本祭現在の本殿祭と神幸祭御旅所神幸)とからなる)を中心として営まれていたが、暦制の変更対応して大正2年1913年)には本祭新暦10月29日に、町廻りが翌30日変更された。10月28日行われていた「前夜祭」(のちに「宵曳山」に名称変更)が正式行事加わったのは昭和37年1962年)からである。 さらに、週休制の浸透外来観光客招致といった理由によって、昭和43年1968年)には、本祭のうち本殿祭のみを10月29日残して神幸祭御旅所神幸)は祝日である11月3日変更された。この変更にともない曳山11月2日に、町廻りも同4日変更されており、一般には、曳山巡行をともなうこの11月2日からの3日間が「唐津くんち」と呼ばれるようになっている

※この「祭りの由来と遍歴」の解説は、「唐津くんち」の解説の一部です。
「祭りの由来と遍歴」を含む「唐津くんち」の記事については、「唐津くんち」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「祭りの由来と遍歴」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「祭りの由来と遍歴」の関連用語

祭りの由来と遍歴のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



祭りの由来と遍歴のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの唐津くんち (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS