神託由義宮遷都説とは? わかりやすく解説

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神託由義宮遷都説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:55 UTC 版)

宇佐八幡宮神託事件」の記事における「神託由義宮遷都説」の解説

中西康裕は、以下のような解釈提出している。 道鏡実際に皇位狙ったとすれば極刑該当する重罪であるにもかかわらず称徳天皇崩御後下野への流刑は罰としてはあまりにも軽く浄人一族関係者にも死罪出ていないことから、皇位継承企てたという説は「後付ではないか最初神託皇位継承以外の問題道鏡故郷である河内国弓削由義宮遷都この年行われたに関するものであって、これに乗じた藤原氏恐らくは藤原永手とその弟の藤原楓麻呂か)が和気清麻呂利用して白壁王あるいはその子である他戸王称徳天皇の父・聖武天皇外孫の中で唯一皇位継承権を持つ)を立太子するようにという神託仕立て上げよとしたことが発覚したために清麻呂流刑にされたのではないか。 しかし、この神託由義宮遷都説は根拠憶測の域を越えるものではないとする見方もある。また、他戸王立太子後に藤原氏によって廃位されて後に変死しているという指摘もある。その一方で称徳天皇道鏡清麻呂流した事で2番目の神託否認した以上、最初神託基づいて道鏡への皇位継承進めることも可能であった筈なのに事件以後に全くそうした動き見せていない事や逆に藤原氏らの反対派がこの事件直接大義名分として天皇道鏡排除積極的に動いていない事から、道鏡がこの事件深く関わっていたとする証拠見出す事は困難である。また、白壁王擁立については藤原氏一族一致していたものの、その次の天皇については早い段階白壁王の子供のうち、他戸王推す藤原永手北家山部王(後の桓武天皇)を推す藤原百川式家との間で意見の対立があり、他戸皇太子廃位政権主体北家から式家移った直後発生している事から、北家主導下で光仁擁立→他戸立太子が行われた事と式家への政権移行後にその廃太子が行われた事には矛盾は無いと考えられている。

※この「神託由義宮遷都説」の解説は、「宇佐八幡宮神託事件」の解説の一部です。
「神託由義宮遷都説」を含む「宇佐八幡宮神託事件」の記事については、「宇佐八幡宮神託事件」の概要を参照ください。

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