神聖化の動き
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「聖母マリアの汚れなきみ心」の記事における「神聖化の動き」の解説
1917年7月13日、ポルトガルにおいて「ファティマの聖母」の3度目の出現があったその間、伝えられるところによると聖母マリアが3人の牧童たちに「神は聖母マリアの汚れなきみ心に対し、世界的な奉献をすることをお望みです。」と言った。これは人類の魂が地獄に行くことを防ぎ、世界に平和をもたらすためで、そして、聖母はロシアを聖母の汚れなきみ心に奉献するよう求めてきたとされる。1952年、7月7日にローマ教皇ピウス12世は、自らの使徒的書簡「サクロ・ヴェルジェンテ・アンノ」(Sacro Vergente Anno:神聖な年として)にロシアを聖母乙女マリアに奉献すると記した。 ポルトガルのアレシャンドリナ・マリア・ダ・コスタは、イエス・キリストや聖母乙女マリアの私的な出現を何度も受け、その中でメッセージや予言を直接にイエス・キリストや聖母マリアから受けたとされる。1938年6月に、彼女の霊的な指導者マリアーノ・ピニャン(Mariano Pinho)神父の手による依頼文を基にした文書が、ポルトガルの数人の司教からローマ教皇ピウス11世に送られた。その文書は、教皇に対し、世界を汚れなきマリアの御心に奉献することを求めた内容であった。この当時、ローマ教皇庁の国務省担当であったエウジェニオ・パチェッリ枢機卿(Eugenio Pacelli)は後にローマ教皇ピウス12世となり、世界を汚れなきマリアの御心に奉献した。詳しくは「世界の奉献」(en:consecration of the worldを参照)。 1984年3月25日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、この「世界の奉献」の求めに対し、それを満たすための動きをした。ヨハネ・パウロ2世が世界の奉献を厳粛に行った時、つまり、ロシアの奉献も暗黙のうちに含まれることになるが、バチカン宮殿のサン・ピエトロ広場へ臨時に「ファティマの奇蹟の聖母像」を置き、その像を前にして「マリアの汚れなきみ心」への奉献儀式を行った。洗足カルメル会の修道女 ルシア・ドス・サントスは、ファティマの聖母が出現した時において、唯一生き残った目撃者であるが、ルチアは、聖母マリアの要請である「ロシアのマリアの汚れなきみ心に対する奉献」が天によって受け入れられたこと、それゆえ、聖母マリアの要請が、2000年8月8日において、満たされたことを確信した、とした。ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、この時、新たに始まる1000年のために、世界を「マリアの汚れなきみ心」へ委ねる儀式を行った。 2013年8月にローマ教皇フランシスコは、2013年の10月13日に、ファティマのロザリオの聖母像と、聖母マリアの日の祝賀の一部として、世界を聖母マリアの汚れなきみ心へ奉献すると発表した。
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