神聖ローマ帝国の封建体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 21:13 UTC 版)
「イタリア王」の記事における「神聖ローマ帝国の封建体制」の解説
詳細は「神聖ローマ帝国」、「イタリア王国 (中世)」、および「イタリア王国 (1805年-1814年)」を参照 フランク王国の後裔である神聖ローマ帝国はランゴバルド王国を滅ぼして得た権威をもって、皇帝がイタリア王を兼ねると宣言していた。 しかし領土的には先述の通りランゴバルド王国の一部だけであり、中部の教皇領、南部のナポリ王・トリナクリア王の領域では君主としての権威を持たなかった。さらに北部領域においてもロンバルディア同盟との戦いなどを経て、徐々に実権を失っていった。その点において同時代のイタリア王(rex Italiae)の称号はイタリアの支配と同義ではなくなってしまっており、この歪な状態は中世から近世の長きにわたって続くことになる。 1805年、近代に入ってコルシカ島出身のナポレオン・ボナパルトが神聖ローマ帝国を滅ぼした後、占領下に置いていた地域に傀儡国家を樹立するためにロンバルディアの鉄王冠を使ってイタリア王への即位を宣言した。形式的には神聖ローマ帝国の方法に従ったもので、やはり王権は一部地域に限られ、ナポリ王位なども並存する状態にあった。1814年、ナポレオンが失脚して全ての実権・称号を手放すと自動的にイタリア王位も放棄したと見なされた。しかし中世イタリア王の領域を獲得したオーストリア帝国は神聖ローマ時代を踏襲せず、結果として数十年にわたってイタリア王の称号は空位状態が続いた。
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