神聖ローマ帝国との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 18:31 UTC 版)
「アデライデ・ディ・トリノ」の記事における「神聖ローマ帝国との関係」の解説
1069年、皇帝ハインリヒ4世がアデライデの娘である皇后ベルタと離婚しようと画策する騒動が持ち上がった。これにより、アデライデと皇帝家との関係は一気に冷え込んだ。しかし1077年にハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世に謝罪するためカノッサに向かったいわゆるカノッサの屈辱の際には、ベルタの尽力もあって、アデライデは皇帝が自領を通りイタリアに入る手助けをした。その見返りとして、アデライデは皇帝からビュジェイを与えられた。またアデライデと息子アメーデオ2世は、ハインリヒ4世・ベルタ夫妻に同行してカノッサに赴き、マティルダ・ディ・カノッサやアルベルト・アッツォ2世・デステらとともに教皇・皇帝間の調停に尽力した。その後、叙任権闘争の中でハインリヒ4世とグレゴリウス7世の間の戦争が激化するなか、1080年から1082年にかけて、皇帝派の聖職者アルバのベンツォからアデライデに向け皇帝への協力を求める書簡が何度か送られている。これ以降アデライデは皇帝により接近するようになり、皇帝とマティルダ・ディ・カノッサとの間の調停を行ったり、1084年のハインリヒ4世の南イタリア遠征に同行したりしている。
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