神の応答
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 00:18 UTC 版)
言葉を尽くしたヨブは、この苦難に関する疑問を保留すると、内なる声に耳を傾ける。そのとき、嵐の中から神自身がヨブに顕現する。神は二度語る。ヨブは知識が欠如しているが正しく語ったと神は評価している(因果応報が究極ではないということ)。神はヨブに戦いとして逆説的な質問を投げる。 神は最初に、(人は神が創造した最高傑作であるものの)神の計画の主人公ではないどころか創造に全く関与しておらず、神の活動の目的は人間の活動を超越したところにあることを指摘する。 「わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか。知っていたというなら/理解していることを言ってみよ。」 — (38:4) また、ヨブが知っていることを示す。ヨブは神の無償の行為の世界の中に生きていることを理解して知っている。自然現象を見て知っている。 「そのときお前は既に生まれていて/人生の日数も多いと言うのなら/これらのことを知っているはずだ — (38:21) 神には計画がある。人間が世界の中心にいることを否定している。動物は奔放である。そして、創造の神と救済の神は同一である。神は引き下がるヨブに発言を求める。しかし、ヨブは自分の小ささを知り、神の活動の目的の中心に人間がいないことを理解して満足して退く。神はヨブに神を取るか、自分を取るのか選択を迫る。 「お前はわたしが定めたことを否定し/自分を無罪とするために/わたしを有罪とさえするのか — (40:8) 神に勝つには、小さい存在のヨブが、創造物の性格を変え、消滅させなければならないと、創造を否定しなければならないという矛盾がある。ましてや、神の性格を人間が決めているのではない。 ベヘモットやレビヤタンという最も強い獣を象徴する(空想上の)動物の解釈は様々であるが、素直に各々の動物の性質や物語の意義を考えて、(ヨブが遭遇した)混沌・災い(をもたらす動物)も神の創造の活動の一部であると理解することもできる。世界には人が思い通りにならない災いがあるが、世界は災いではなく、すべては神の支配下にある。 ヨブは、神には計画が成就されつつあることを知り、新たな発見があり、神に出会えて喜び、自分の神への失礼に気づき塵と灰の上で伏して自分を悔い改める。ヨブの不満はなくなった。神の正義も災いも、無償の愛に起因して、無償の愛の中に成立している。(「神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」(2:10)と述べたヨブの正しさに帰結する。)
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