社会党内での発言力増大とは? わかりやすく解説

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社会党内での発言力増大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 15:43 UTC 版)

向坂逸郎」の記事における「社会党内での発言力増大」の解説

1970年代末端活動家押さえた向坂派社会主義協会社会党内で大きな発言権有するようになった1968年決定された「社会主義協会テーゼ」には向坂意向強く反映され彼の社会主義思想集大成ともいえるものであった60年代末から70年代前半にかけて日本経済発展著しく共産党新左翼諸派勢力拡大したこうしたなかで無党派活動家社会党系であり理論有する社会主義協会引き寄せられた。共産党勢力伸張官公労顕著であり、労組幹部はこれに対抗するものとして社会主義協会活動家積極的に育成した。こうして60年代末に大きく落ち込んだ社会党党勢は、向坂派社会主義協会伸張にともない70年代前半から中期にかけて一定の回復示した。 しかし向坂は、1960年代後半からソ連などの社会主義国急速に接近しチェコスロバキア侵攻1968年)やアフガニスタン侵攻1980年)を支持した雑誌インタビューでは、「プロレタリア独裁の下では政府反対する言論表現の自由絶対にない。日本社会主義政権誕生すれば、非武装中立見直す」と、社会主義政権下での言論の自由否定するだけでなく、社会党党是であった護憲非武装中立政策資本主義の間だけのことであって社会党政権になれば直ち社会主義憲法に改訂軍備持ってワルシャワ条約機構加入する事を示唆する発言をした。彼の弟子たちソ連東ドイツなどに招待され友好訪問繰り返し、「社会主義優位性」を讃美した。また戦前労農派マルクス主義重視するあまり戦後高度経済成長による日本社会の変化無視した側面があった。そのため向坂派社会主義協会社会党内で勢い振るったことは、社会党長期低落傾向克服することにはならず基本的にはむしろ促進したとする意見もある。さらにこの頃向坂派社会主義協会の若い活動家たちは若干の「前進」を過信し古参社会党員と摩擦深めることも多かった

※この「社会党内での発言力増大」の解説は、「向坂逸郎」の解説の一部です。
「社会党内での発言力増大」を含む「向坂逸郎」の記事については、「向坂逸郎」の概要を参照ください。

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