社会党の統一と民社、新護憲の再分裂
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「フォーラム平和・人権・環境」の記事における「社会党の統一と民社、新護憲の再分裂」の解説
護憲連合の結成後、1955年に社会党が統一される。この年から砂川闘争が始まり、結成間もない護憲連合も東京地評などと協力して住民を支援した。1957年には労農党も社会党に合流することとなり、一旦は社会党系勢力は統一される。1959年から翌年にかけての安保闘争には護憲連合も積極的に取り組んだが、この安保闘争などを巡り、1960年に社会党から民社党が分裂した。護憲運動についても、民社党系は憲法擁護新国民会議(新護憲)を結成し護憲連合を離脱する。なお、新護憲はその後、論憲会議を経て、現在では改憲団体である創憲会議となっている。新護憲の分裂により日本の主な護憲団体は護憲連合、新護憲、憲法会議の3つとなった。
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